表紙          10



ひとりだけの詩:2

 

1:ツァラトゥストゥラはなぜ難しいのか

 

ニーチェの「ツァラトゥストゥラはこう言った」は

なぜ難しいのか。

遠回しに抽象的に社会を批判しているからである。

なぜ遠回しに抽象的に語らなければならなかったのか。

具体的に誰でもわかるように書くと

社会から批判されるからである。

私は社会批判のようなものを書いて

集団によるいじめ・いやがらせを経験した。

私は一般論・一般例のつもりで書いた。

当人が読めば誰のことだかわかるが

当人以外の人が読んでも誰のことだかわからない。

ニーチェは当人が読んでも誰のことだか

わからないように書いたのである。

ニーチェにとって当人とは誰か。

この地球上に住む人間全部である。

それでは当人が読んでもなぜ理解できないのか。

答えはあきれるほど簡単である。

人間は自分のことを全く理解していないからである。

自分のことを全く理解していない人間が

自分のことが書かれているツァラトゥストゥラを

読んでも一行も理解することはできないのである。

 

2:発達障害者はがまんしなくてよい

 

発達障害者はなぜがまんしようとするのか。

悪いのはまわりの人ではなくどうしても

自分のほうだと思ってしまうからである。

そもそも悪いとか良いとかの問題ではない。

悪いとか良いとかをいったい誰が決めるのか。

誰も決めることはできない。

健常者は悪いとか良いとかは

自分たちが決めるものだと思っている。

勝手に思っていなさい。

発達障害者はがまんしなくていいのである。

 

3:新井白石の勉強方法

 

新井白石は夜勉強していて眠たくなると

井戸のところに行ってふんどし一枚になり

冷水をあびてまた勉強を始めたと

「折りたく柴の記」に書かれている。

私もそのような切実な勉強をしてみたかったが

とうとういままでいちども実現しなかった。

血のにじむような勉強の経験をした人は

けっこういるかもしれない。

そのような勉強を経験した人達は

自分の人生に対して大きな期待をよせる。

その期待がうまい方向へ行くといいのだが

血のにじむような勉強の代償としては

あまりに悲惨な人生をおくる人の方が

むしろ多いのではないか。

 

4:人の欲望にはかぎりがない

 

「人にはなぜ欲望が存在するのか。」

この質問に答えることはできない。

お金・地位・名誉いちど手にするとかぎりがない。

お金持ちはなぜもっともっとお金がほしいのか。

宇宙がいつどのようにできてこれからどうなっていくのか。

それに対して科学はある程度答えることができる。

しかしなぜ宇宙が存在するのかという質問に

答えることはできない。

宇宙が存在するのは根本的なことであり

おなじように人間に欲望が存在することも

根本的なことなのである。

欲望に支配されるのか欲望を支配するのか。

それを決めるのは人それぞれの自由にまかせられている。

 

5:後世に名を残したくはない

 

なんとか自分の名を後世に残したい。

そのようなつまらないことを

ずっと考え続けていた。

今はまったく考えられない。

もし自分という存在が

後世のただ一人の記憶に残ったとしても

それはほんとうにはずかしいことである。

それほどまでの存在になりはててしまったのだ。

 

6:孤独死

 

孤独死とはどのようなものか。

まわりに誰もみとる人がいなくて死ぬことか。

まわりに人がいてもいなくても

人間はひとりで死ぬのである。

すべての人が孤独死なのである。

自分は誰かにみとられたいのである。

誰にもみとられない人をかわいそうだと

思いたいのである。

そのような心情が「孤独死」という

言葉を生み出す。

「孤独死」は死んだ人をいう言葉ではなく

今生きている人たちの言葉なのである。

 

7:金銭せびり

 

中学校2年の時金銭せびりを経験した。

クラスのほとんど全員であった。

誰も先生に言わなかった。

勇気のある生徒が一人いた。

彼が先生の家まで行って話をした。

翌日クラス全員が先生になぐられた。

それでピタっと問題は解決した。

以後まったく金銭せびりはなくなった。

今の学校に問題の自己解決は存在するのか。

その勇気のある生徒は私のことではない。

 

8:謝花昇

 

謝花昇は現在の東大農学部の出身であった。

沖縄県庁に技官として採用された。

杣山(そまやま)問題で奈良原繁知事と対立した。

結局県庁を退職した。

政治問題で県知事と対立してやめるような

役人は今の沖縄県庁にはいない。

県知事の命令に従うのが役人なのである。

今の役人はそれを承知で就職している。

謝花昇は彼らには理解できないであろう。

彼は中江兆民の弟子であった。

当時の板垣退助内相に直談判した。

奈良原知事解任の内諾を得た。

その直後に隈板内閣は倒れ内諾は無効となった。

銀行の役人の選挙にも落選した。

失意のうちに発狂した。

杣山(そまやま)問題は結局悲惨な結果となった。

彼は沖縄が生んだ秀才であった。

彼は旧薩摩・日本本土と対立した。

自分は沖縄人でありたかった。

しかし彼の存在の根拠は日本本土にあった。

中江兆民の弟子でもなく東大農学部の

出身でもない彼は彼ではないのである。

彼は自分があちら側の人間であったことに気づく。

あちら側の人間がこちら側になろうと

せいいっぱい頑張ったのである。

あちらでありながら同時にこちらである。

これは大きな矛盾である。

結局発狂してしまったのである。

 

9:天川(てぃんがあら)

 

昔(んかし)ぬ天川(てぃんがあら)あ

一杯(いっぺえ)清(ちゅ)らさい侍(びい)たん。

天(てぃん)から今(なま)にん落(う)てぃてぃ

来(ちゅう)る如(ぐとぅ)有(や)い侍(びい)たん。

宇宙(うちゅう)や何故(ぬうんち)彼(あ)んし

大(まぎ)さる物(むぬ)有(や)い侍(びい)る。

天川(てぃんがあら)あ何時(いち)ん彼(あ)ん

語而居(かたとお)る如(ぐとぅ)有(や)い侍(びい)たん。

今(なま)あ天川(てぃんがあら)ぬ星々(ふしぶし)や

地(じ)んかい落(う)てぃたがすら

間剥(みいは)ぎ天川(てぃんがあら)

成而居(なとお)い侍(びい)ん。

 

10:琉歌

 

天(てぃん)ぬ星々(ふしぶし)に

願(にが)い事(ぐとぅ)立(た)てぃてぃ

朝(あさ)起(う)きてぃ見(み)りば

雨(あみ)ぬ落(う)てぃてぃ

 

11:俳句

 

木漏れ日の中行く我に蝉が鳴く

 

12:短歌

 

明日からも変わらず歌う蝉たちは今日をかぎりと思いつつ鳴く

 

13:上陸艇

 

小学校のころ汀間の浜で遊んでいると

すぐ近くにアメリカ海兵隊の上陸艇が来た。

海兵隊が浜に上陸した。

ノルマンディー上陸作戦のような演習であった。

私の家から200メートルほど離れたスイカ畑のそばに

演習中のアメリカ兵の落下傘が降下着地した。

落下傘をたたむ手伝いをして25セントをもらった。

ふつうの道路をふつうにアメリカ軍の戦車が走っていた。

アメリカ軍の統治下にあるということがどういうことなのか。

復帰後の沖縄の人たちは知らない。

このようなことを経験した人たちの

記憶にもなくなっていることだろう。

 

14:毒ガス

 

中学1年の時アメリカ軍による毒ガスの移送があった。

夏休みであった。

移送が終了するまで登校日はなかった。

毒ガスの貯蔵場所は知花弾薬庫であった。

毒ガスの中にはサリンもふくまれていた。

私の家から10キロほど離れた天願桟橋まで移送された。

アメリカ軍は毒ガスを実際に使うつもりだったのか。

使うつもりのない毒ガスを製造して沖縄に貯蔵したのか。

知花弾薬庫周辺では以前から異臭・目の傷みなどがあった。

新聞・テレビは移送中の事故で毒ガスが周辺にもれるなどと

連日あおるばかりであった。

中学生はいまにも毒ガスをあびるのではと本気で思っていた。

 

15:B52爆発炎上事故

 

1968年に嘉手納基地で離陸に

失敗したB52が爆発炎上した。

爆弾をつんだままであった。

知花弾薬庫地区まであと250メートルの

ところであった。

爆風は37キロ離れた那覇市の

薬局の窓をこわした。

ベトナム戦争時で北ベトナムを爆撃に

行こうとしていたのである。

今の沖縄の人たちは知らない。

ベトナム戦争で空爆に向かうB52は

嘉手納基地から飛び立っていたことを。

沖縄県民は炎上事故でB52の

おそろしさを知った。

しかしベトナム戦争が自分たちと

関係のあることとは思っていなかった。

北ベトナム人は沖縄を

「悪魔の島」と呼んでいた。

アメリカ軍が勝手に嘉手納基地を

使用して勝手にB52を北ベトナムに

飛ばしているのだ。

沖縄県民には全く関係がない。

遠くの戦争は戦争ではない。

本気でそう思っていた。

自分たちがわずか23年前に

悲惨な戦争を経験したことを

その時すでに忘れていた。

と言われても仕方がない。

 

16:樋口一葉

 

樋口一葉はわずか24歳でなくなった。

肺結核であった。

24年の人生であれだけの作品を残した。

文筆で家族の生計を立てようとした

最初の職業小説家であった。

一葉日記を読むと

彼女は交友関係が広かったようだ。

頻繁に外に出かけ頻繁に交友していた。

図書館と歌会が好きだったようだ。

むずかしい本もたくさん読んでいた。

彼女は自分に対して謙虚であった。

また自分の死を悟っていたようだ。

自分がお札にまでなるほどの

有名な作家になるとは夢にも

思っていなかった。

自分に文才があると本気で

思っていたならあれほどの

作品を残すことはなかっただろう。

自分には文才がないけれども

なんとか作品を書きたい。

そう思っていたからこそ

あのような作品が書けたのである。

死を意識していたからこそ

あれだけの作品が書けたのである。

 

17:JFK・ケネディー

 

ケネディーはなぜいまだに人気があるのか。

ケネディーは偉大な大統領であったのか。

彼はふつう一般の人であった。

なぜ大統領になれたのか。

お金と容姿と運である。

彼の父は実業家で相当な金持ちであった。

大統領選挙にはお金がかかる。

選挙資金がないため大統領になれなかった人は多い。

彼は大統領当時の運に恵まれていた。

当時は人種差別に対しての公民権運動がさかんだった。

それをうまく利用していかにも

自分がリードしているかのようにした。

キューバ危機では決断力を示した。

しかしその決断はただの賭けであった。

ソ連が撤退したのである。

撤退しなければ戦争が起こっていた。

運がよかったのである。

彼は多くの若い人材を登用して

その他の優秀な人材にも恵まれた。

それは功績ともいえるが

結局自分では何もしなかったということである。

女性関係のスキャンダルが多かった。

マリリンモンローとも深い関係であった。

しかしマスコミに取り上げられることはなかった。

そういう時代であったのだ。

クリントンは女性問題で人気を失った。

彼からお金と容姿と運を取り去ると

かなりインテリであること以外は

ふつうの一般的な人なのである。

最初にベトナム戦争へのアメリカの軍事介入を

決断したのはケネディー本人であった。

その後十年以上もベトナム戦争は続いた。

キューバ危機はただ運がよかっただけなのだと

本人みずからが証明した。

アメリカ国民はいまでもなお彼を

偉大な大統領としておきたいようだ。

 

18:News paper carrier

 

I was a news paper carrier in Ichikawa city.

I carried about 70 papers by bicycle.

It was the first day in the snow winter.

My bicycle slipped on the frozen road.

All of the papers were fallen over the road.

I picked them to the bicycle carrier and basket.

After running on ten meters,

The bicycle slipped again.

I tumbled off the bicycle again and again.

The papers were over the road 5 times.

I walked the bicycle.

I was a bicycle carrier in the snow winter.

 

19:坂本龍馬

 

坂本龍馬はヒーローであったのか。

彼はヒーローに作り上げられたのだ。

最初に彼をヒーローにしたのは坂崎紫蘭であった。

そして司馬遼太郎である。

明治の初めは薩長の英雄が目立ちすぎて

土佐はぱっとしなかった。

土佐出身の坂崎紫蘭は坂本龍馬に目をつけて新聞小説にした。

それが当時の民衆にうけて彼はヒーローとなった。

坂崎紫蘭の坂本龍馬のイメージを押し広げて

はるかにヒーローにしたのが司馬遼太郎であった。

現在の人たちが持っている坂本龍馬のイメージは

ほとんど二人の創作によるものだ。

歴史にヒーローは存在しない。

もしヒーローが存在するなら歴史上のすべての人々が

ヒーローなのである。

主人公のいない小説はない。

主人公がいなければ小説は書けないのである。

同じようにヒーローがいなければ歴史の本は書きづらい。

ヒーローを通してその当時の歴史を書いきたいのである。

そのほうが非常にわかりやすいのである。

真のヒーローであるその他のすべての人々は資料がない。

だから書こうにも書けないのである。

真のヒーローはすべての人々である。

 

20:韓国人はなぜ日本より上に立ちたがるのか

 

韓国人はいつもどちらが上か下かを考えている。

それは韓国語が原因である。

韓国語には日本語と同じく敬語が存在する。

敬語はまずどちらが上か下かを決めなければならない。

韓国人の頭の構造はそうなっているのだ。

日本人は戦後民主主義国家となったせいか

敬語を使えない人が多くなった。

あえて敬語を使わない人もいる。

敬語を使っている人も形式的であり

ほんとうに相手を敬っているわけではない。

儒教的上下関係という考え方が希薄になった。

韓国はいまだに儒教国家であり日本で失われた

儒教的上下関係というものが存在する。

敬語の使用は厳密・厳粛である。

人と人の関係ばかりでなく国と国の関係にも

上下関係を無意識にさがそうとするのである。

韓国人は敬語上の上下関係と国家間の上下関係を

混同しているのである。

そもそも国家間に上下関係は存在しないし

人間関係にも上下はない。

 

21:韓国ドラマの復讐劇

 

韓国ドラマには復讐をテーマにしたものが多い。

むしろそれをテーマとしないドラマは無いといってよい。

人はなぜ復讐をするのか。

なぜ復讐をしたがるのか。

これは根本的な問題であり答えることはできない。

人に復讐をすればそれに対してまた復讐される

理論的には永遠に終わりがない。

永遠に終わりのないものをなぜしたがるのか。

答えのようなものとして考えられるのは

プライドを守るためである。

復讐することによってどうしてプライドが保てるのか。

まったく説明することができない。

単にやられたらやりかえすということなのか。

目を傷つけられたから相手の目を傷つけるのか。

歯を折られたから相手の歯を折るのか。

守ろうとしているプライドというもの自体が

幻想であったとしたらどうであろう。

はっきり言って幻想である。

幻想を守るために復讐していることになる。

復讐は悲惨なほど現実的なものであるが

守ろうとしているものはむなしいほどの幻想である。

理論的にこれ以上滑稽なことはない。

 

22:長歌

 

なごのうら なみはうちよせ

とおやまは くもひとつなく

ましらはま はまひるがおの

はいつたい かにはたわむれ

やどかりは ひとをはばかり

なみのおと さやかにきこえ

なみぎわの すなはかがやき

はまちどり りりしくあゆみ

とおうみに しまはつづいて

なごうらはあり

 

23:反歌

 

なごうらにしずむゆうひをとおくみてときはすぎつつなおひとりたつ

 

24:旋頭歌

 

赤花の咲く公園に遊ぶ子供ら声高く遠くに響き明日がまた来る

 

25:俳句

 

夕立に松葉ぼたんの濡れそぼつ

 

26:15世紀の琉球語の詩(海東諸国紀を参考にした創作)

 

太陽(てょんだ)休(やす)みょ入(い)ちぇ。

内庭(うちばら)行(うぃ)っちょ遊(あす)んび。

今日(きょお)温(ぬく)さ。

明日(あちゃ)晴(ぱ)り。

父(あしゃ)酒(さくぃ)飲(の)まさな。

父(あしゃ)酒狂(さかくる)い。

父(あしゃ)御飯(おむばに)上(あん)ぐぃり。

明日(あちゃ)早朝(すとみてぃ)

大道(おぷみち)遊(あすん)び。

 

27:琉歌

 

明日(あちゃ)ぬ事(くとぅ)思(うむ)てぃ

今日(ちゅう)生(い)ちち居(うぅ)らに

今日(ちゅう)や今日(ちゅう)ぬ花(はな)

明日(あちゃ)や咲(さ)かん

 

28:紙の辞書のいいところ

 

英語の勉強には電子辞書がいいのか。

紙の辞書がいいのか。

紙の辞書がいいと思う。

紙の辞書は見る範囲が広い。

調べた単語の周辺まで見える。

英単語は関連のある単語が周辺にある。

一緒に覚えることが出来る。

関連のない語を見るのもおもしろい。

単語の海をさまよえる。

英単語を紙の辞書で調べるには

単語のつづりがわからなければならない。

単語を調べながらしらずしらず

つづりが頭の中に記憶される。

一度調べた単語にしるしをつけておけば

次にその単語に出会った時

「ああ自分はこの単語を覚えていなかった」と

反省ができて覚えようという意欲が出る。

しるしの数がふえるとますます覚えなければと

自分自身を鼓舞することができる。

だんだんとしるしと書き込みの数が増えて

辞書自身が英語力の達成感を教えてくれる。

 

29:なぜ読書をするのか

 

なぜ読書をするのか。

「考えるということ」を身に付けるためである。

考えるというのは学校の試験問題とかで経験はあるが

本当の「考えるということ」は考えたことがないはずだ。

学校を卒業すると仕事のこと以外考えるということをしない。

仕事のこと以外を考えるそれが考えるということである。

自分とは関係のないと思われることを考えることである。

自分とは関係のないと思われることが書かれている

それが本である。

なぜ本を読むのはつまらないか。

なぜめんどくさいか。

なぜ苦痛か。

それは自分とは関係のないことが書かれていると

思ってしまうからだ。

専門書は別として世の中にある本で

自分と関係のないことが書かれている本は存在しない。

自分とどのように関係するのか。

それを探し求めるということが

「考えるということ」なのだ。

 

30:Lady Gaga or Stefani Joanne Angelina Geramanotta

 

Lady Gaga wants nobody to see her inside.

She wants everybody to see her surface.

Her appearance is showy, flashy, and gaudy.

Her inside is modest, humble, and honest.

One day, she had an event in Japan.

She was presented a Japanese kimono.

She was touched by the kindness very much.

She dropped a lot of tears.

A Japanese actress would ‘t weep to have such a kindness.

It was the most beautiful tears that I had ever seen.

The tears were not her surface but her inside.

 

31:睡眠

 

私は一日に八時間ほど眠る。

人間は眠っている時も考えている。

それを実感することはほとんどない。

眠っている時に突然目が覚めた。

起きていても非常に難しい問題を

解決して目が覚めたのである。

夢ではなく確かに眠りながら

考えていたのである。

人間は起きている時以上に

眠っている時のほうが

考えているのかもしれない。

 

 32:英語で夢を見る

 

夢の内容は起きるとほとんど忘れている。

思い出そうとしても思い出せない。

私は英語で夢を見ることがある。

その内容はほとんど思い出せない。

しかしはっきりと思い出せる英語の夢がある。

まわりの人が英語を話しているのだ。

友達・同僚・家族・親戚が。

彼らはもちろん英語が話せない。

英語の話せない彼らが英語を話している。

しかもその英語がまったくふつうである。

最も驚いたことは話している彼らの声は

まさしく彼らの声なのである。

人間の脳というのは本当に神秘的だ。

 

33:湯川秀樹

 

湯川秀樹の祖父は漢学者であった。

彼は子供のころから素読をした。

漢学の素養がはなはだしい。

特に荘子が好きなようで

中間子論にも影響をあたえた。

漢学以外にも幅広い分野に精通していた。

昔の学者はだいたい湯川秀樹のようであった。

今の学者は自分の専門分野で精一杯である。

現代はそれぞれの分野が深くなりすぎて

専門分野以外のことには手がまわらない。

湯川秀樹のような学者はいなくなるだろう。

広く深くは無理でも広く浅く他の分野に

目を向けることもできなくなるのであろう。

 

34:すべてを失ってはじめて世界は見える

 

何かを持っていれば世界が見えない。

お金・地位・名誉・友達・プライド。

持っている自分を通してしか世界が見えない。

見えない世界がいかに大きいかも気づかない。

すべてを失ってはじめて世界は見える。

 

35:川端康成

 

川端康成の文章は美しい。

特に「雪国」「伊豆の踊子」「山の音」が美しい。

彼の文章を読んでいると話の筋・流れは

どうでもよくなり

ただその文章の美しさに引き込まれていく。

彼の小説はすべてが詩である。

どこを読んでも詩である。

 

36:英会話の基本は聞き取り

 

初代高橋竹山が言った。

「三味線は耳で弾け」。

英語も耳で話すものである。

高橋竹山は目が見えない。

三味線を弾くのに目はいらない。

英語を話すのにも文字はいらないのである。

聞こえた通りに話せばいいのである。

 

37:英語の基本は読むこと

 

前の詩と矛盾するが

総合的な英語力の基本は読むことである。

黙読ではなく音読である。

とすればやはり前詩と矛盾しない。

自分だけが聞こえる声でいいのである。

音読するにはその単語の発音がきちんと

出来ていなければならない。

ひたすら音読することである。

ひたすら音読することである。

なれると音を出さない音読ができる。

何を目標にして音読するのか。

頭の中に全く日本語がなくなり

英語だけが頭をかけめぐるようになり

しかもその英語がきちんと理解できている。

そのような境地になるまでである。

あとは自然と英語が口から出てくるようになる。

外国語の習得とはそのようなものである。

 

38:古文の読み方

 

私の古文の読み方は

辞書を引かないということである。

わからない単語に出会うと

前後からまわりから全体から

意味を推測するのである。

古語辞典の意味はどのように

してできたのか。

それまでの辞典を参考にして

ただまねて作ったのか。

それならいちばん最初の

古語辞典はどのようにして作ったのか。

前後からまわりから全体から

そして同じ単語のある他の文章の

前後からまわりから全体から

推測して意味を確定したのである。

そうであるなら

我々が古文を読む時も同じようにして

意味を確定していけばよいのである。

それを続けていけば

源氏物語も現代文と同じぐらいに

読めるようになるのである。

 

39:Lawson at Kitanozaka in Kobe

 

I came into a Lawson on Kitanozaka Street in the midnight.

The inside was lighted up and shining.

There were a lot of things that I wanted to buy.

I had little money in my purse.

I bought a sweet roll by 103yen.

I walked up on Kitanozaka Street with it.

A beautiful girl passed me on the street.

She held a flower bouquet on her chest.

The neon signs on the street were so bright.

 

40:ヴォーグェンザップ将軍

 

ヴォーグェンザップ将軍はフランスとアメリカと中国との

戦争に勝利したベトナム軍の最高司令官であった。

2013年に102歳で亡くなった。

彼はもともとはジャーナリストで軍事は全くの独学であった。

独特のゲリラ戦術をあみだした。

ディエンビエンフーの戦いに勝利し

フランスをインドシナから追い出した。

ベトナム戦争ではアメリカ軍に勝利した。

中越戦争ではわずか一か月で人民解放軍を撃退した。

東郷平八郎も乃木希典も山本五十六も及ばない

アジアの畏怖すべき将軍であった。

日本が全くかなわなかったあのアメリカに勝利したのだ。

日本人はこのような将軍の存在をできれば

知らないままにしておきたいようだ。

 

41:伊東正義

 

伊東正義は偉大な政治家であった。

大平正芳内閣の官房長官であった。

大平正芳首相の死去後内閣総理大臣臨時代理となった。

臨時代理でありながら首相の執務室を使わなかった。

閣議の時に首相の席につかなかった。

竹下登から自民党総裁に推された時に断った。

「表紙をかえて中身がかわらなければだめだ」と言った。

内閣総理大臣は表紙であると言ったのである。

政治家としてこれ以上のすぐれた批評はない。

日本の政治家で内閣総理大臣になるのをことわったのは

伊東正義が最初である。

 

42:偶有性

 

茂木健一郎のユーチューブはおもしろい。

彼の発言に共感しなかったことはない。

私は「赤毛のアン」を高校時代に日本語で読んだ。

彼はよく「偶有性」について語る。

いちいち納得してしまう。

偶有性とは偶然におこることである。

いま現在の私を作り出したものはすべてが

偶有性によるものだとつくづく思う。

偶有性によらずに私の意思で私の何かが

作り出されたとしたなら

それはほんのひとかけらの破片にすぎない。

その破片さえも偶有性なのである。

人はなぜ偶有性を受け入れられないのか。

現在の自分を肯定できないからである。

現在の自分をすべて肯定できれば

自分自身がすべて偶有性によって

出来たものであることが理解できる。

そしてこれからの未来に何がおこっても

すべてをそのまま受け入れることができる。

 

43:池田晶子

 

池田晶子は46歳で亡くなった哲学者である。

慶応義塾大学出身で読者モデルの経験もある。

彼女の発言でとても共感したことがある。

彼女は一日中考えていることがあるらしい。

一日中でなくてもとにかく考えている時間が

多くしかもあきることがないらしい。

私も考えている時間が多い。

ただし私の場合は何かをしながら考えている。

仕事をしながら・ご飯をたべながら・歩きながら

自転車に乗りながら・食事を作りながら

買い物をしながら・トイレに入りながら

本を読みながら・ワープロを打ちながら

とにかく寝ている時以外何かを考えている。

池田晶子の発言を聞いて考えてもいいのだ

考えることが哲学をすることなのだと知った。

 

44:「必」の筆順

 

「必」の筆順は三通りあると小学校で教わった。

三通りのうちどれでもいいと教わった。

いまの学校はそうではないらしい。

「必」の筆順は一つだけでそれ以外は間違いらしい。

今の学校は正しいのは常に一つにしたいらしい。

そうしなければ採点がむずかしいらしい。

どうしても×か〇にしたいらしい。

「どちらでもいい」というのがいやでしょうがないらしい。

社会に出ると「どちらでもいい」という場面が圧倒的に多い。

正しいのは一つであると教わった人には対応がむずかしい。

「どちらでもいい」という考え方を学校でも教えたほうがよい。

 

45:韓国人はなぜ歴史を曲げるのか

 

韓国人はなぜ歴史をゆがめるのか。

漢字を廃止したからである。

廃止以前の歴史書は漢字で書かれている。

その歴史書が読めないのである。

だから歴史がわからない。

ハングルで書かれた歴史書ばかり読むことになる。

ハングルの歴史書を書いた人たちは

漢字の歴史書を読んでいないし読めない。

歴史が簡単にひん曲がるのは当然である。

中国も同様である。

繁体字を簡体字にあらためた。

中国の膨大な歴史書はすべて繁体字で書かれている。

その歴史書が読めないのである。

だから中国人も歴史を知らない。

簡体字で書かれた歴史書しか読まないのである。

漢字というのがいかに偉大であるか。

両国が立証している。

 

46:新字体

 

日本は戦後まもなく旧字体(本字)を

新字体にあらためた。

その影響は意外に大きい。

図書館に行くと旧字体で書かれた

本が多いことに気づく。

古本屋の本もだいたいそうである。

どうしても敬遠してしまう。

敬遠された本がほんとうは大切だとしたら。

旧字体が読めないのはもったいない。

旧字体の数は思うほど多くない。

いまからでも勉強すれば

本の世界が大きくひらける。

 

47:斎藤秀三郎

 

今までの日本人の中でいちばん英語のできた人は誰か。

斎藤秀三郎である。

彼は英語学習者の目標でありつづけた。

天に輝く星であった。

われわれにははるかに手のとどかない存在であった。

彼にどれほど近づいたかを常に考えそしてため息をついた。

彼を追い越す日本人はついに現われないだろう。

彼は永遠に目標でありつづけるだろう。

 

48:ローマの休日

 

映画「ローマの休日」で長椅子に寝そべった

アン王女が突然詩を口ずさむ。

Arethusa arose

From her couch of snows

In the Acroceraunian mountains.

アン王女はキーツだと言う。

ブラッドリーはシェリーだと言う。

誰の詩だか映画ではわからない。

これはシェリーの詩である。

新聞記者の方が教養があった。

なぜかこのシーンが好きで

英詩を原書で読み始めた。

いまもキーツが好きである。

たくさんの日本の詩を読んだが

ある詩の一節を取り出して来て

これは誰の詩かと聞かれても

私には答えることができない。

ブラッドリーはたまたまその詩を

知っていただけなのだと

自分で勝手に納得するしかない。

 

49:ティファニーで朝食を

 

ティファニーの前でヘップバーンが

パンとコーヒーで立ったまま朝食をしている。

もっとかっこいい言い方の食べ物かもしれない。

あたりはまだほんのりと薄暗く人通りもない。

哀愁とせつなさがただよっている。

と昔はそのように見ていた。

今は違って見える。

ヘップバーンのほうがティファニーよりも輝いて見える。

きらびやかな宝石と重厚な建物よりも

ヘップバーンの方がはるかにさっそうとしている。

たとえどんな人でもティファニー以上に大きな存在なのである。

ティファニーは人間が生み出した幻想である。

人間の存在は厳粛な現実である。

ヘップバーンはティファニーで朝食をする必要はない。

 

50:北の新地

 

大坂(おおさか)んかい北(きた)ぬ新地(しんち)でぃ言(ぃゆ)る

所(とぅくる)ぬ有(あ)い侍(びい)ん。

「都はるみ」ぬ「大坂しぐれ」んかい出(ぃん)じてぃ来侍(ちゃあび)いん。

「北(きた)ぬ新地(しんちぇ)え思(うむ)い出(でぃ)許(びけ)え

何(ぬう)やてぃん」彼(あ)ん成而居(なとお)い侍(びい)ん。

一杯(いっぺえ)良(ゆ)たさる歌(うた)有(や)い侍(びい)しが

何処(まあ)有(や)てぃん思(うむ)い出(でぃ)許(びけ)えどぅ

有(や)い侍(びい)る。

北(きた)ぬ新地(しんち)許(びけ)えや有(あ)い侍(び)らん。