ひとりだけの詩:4
1:宗教者と人格
宗教者は人格者でなければならない。
宗教者に人格を求めなくていったい誰に求めるのか。
宗教者はたえず自分が人格者であることを求め続けなければならない。
人格者でなくそれを追究することもできない宗教者は宗教者をやめるべきである。
宗教者に人格はいらないと開き直っている宗教者も宗教者をやめるべきである。
宗教者は自分が人格者でないことをたえず反省しそして追究すべきである。
それがその宗教を信じる人達への礼儀である。
2:めんどくさい
「めんどくさい」の正しい発音は「めんどうくさい」である。
「めんどうくさい」と発音するのはめんどくさい。
めんどくさいのは好きと嫌いのどちらに近いのか。
断然好きなほうに近いのだ。
めんどくさいうちに何でもやっておいたほうがいい。
ほうっておくと嫌いになってしまう。
3:ボードレール
ボードレールの詩を高校時代に読んだ。
詩とはこういうものなのか思った。
はっきり言って全然理解できなかった。
いまひとりだけの詩を作りながら思う。
ボードレールが自分の中にいるのだ。
若い時にこそむずかしい本を読んでおくべきだ。
4:兼次佐一
兼次佐一は社会大衆党の書記長で那覇市長であった。
土木作業員などいろいろな職業を経験した。
西銘順次にやぶれ市長は一期であった。
その後貿易関係や保険の外交員をした。
彼には職業に対しての純粋な平等意識があった。
今の人はやめた時の職に見合った体裁のいい職につく。
でなければ無職の隠居を選ぶ。
戦後の経済発展の中で現在の人が失った大切なこと。
それは職業に対する平等意識である。
5:仲宗根美樹
仲宗根美樹は沖縄出身の歌手である。
安室奈美恵の大先輩である。
「川は流れる」はミリオンセラーとなった。
「わくらば」という聞き慣れない詩語で始まる曲だ。
仲宗根美樹は私生活には恵まれず波瀾の人生だった。
しかし彼女はいつ見ても笑顔だ。
心の中からしみだしてくる笑顔だ。
「嘆くまい明日は明るく」。
彼女は歌詞以上に生きている。
「明日も明るく」。
6:高樹澪
高樹澪は女優である。
もともとは銀行員であった。
顔面が麻痺をおこす病気となり一時休業した。
休業していた時のバイトが清掃員であった。
顔を見せずにできる職業はほとんどない。
それでも清掃員は決意と覚悟がいる。
はればれとしたすがすがしさに感動してしまう。
7:グレタ・トゥンベリ
グレタ・トゥンベリの発言は過激である。
スウェーデンがめざす自立した自由な個人の代表である。
専業主婦は国民の1%である。
離婚の時の慰謝料はない。
彼女の発言が過激すぎるのは性格である。
黙っていることが出来ない。
通常の人は言いたいことがあっても我慢する。
まわりに合わせようとする。
それが社会性である。
彼女にはそれができない。
まわりに合わせることは自分自身を失うことなのだ。
みんなと違った発言をする人は必要である。
大きな建物が火事になると大勢の人が同じドアから逃げる。
一人だけ違ったドアから逃げる人がいてもよい。
どちらのドアが安全かは出てみなければわからない。
中にいる人々は大勢の人達が逃げこむドアが
安全だと思い込んでいるにすぎない。
8:生きるということは死ぬことである
生きるということは死ぬことである。
知らない人が多い。
ろうそくが燃えるということは
ろうそくが無くなるということだ。
燃えていることばかりが目に入り
無くなっていることに気が付かない。
生きているということは死に向かっているのだ。
死ぬということ考えて生きている人はまれだ。
明日死ぬとわかって生きる今日はどうだろうか。
死ぬということを常に考えて生きる人生と
死ぬということを考えないで生きる人生が
同じであるはずはない。
9:自信
自信とは自分を信じて他人を信じないことだ。
自分が考える自分と他人が考える自分は違う。
自分が考える自分と他人が考える自分の
どちらが正しいか誰も判断することはできない。
自信のない人は他人にその判断をまかせている。
他人の数が多ければなおさらである。
誰も判断出来ないことを他人にゆだねてはいけない。
その判断は自分自身がするものだ。
それが自信である。
10:継続
何かを成し遂げるには継続が必要である。
継続するのはむずかしくてめんどくさい。
人は途中であきらめて投げ出すことに
そうとうの嫌悪感を感じる。
継続できる人がうらやましい。
途中でやめることも継続である。
継続とは途中に休みがあることだ。
その休みが多少長くてもいい。
また始めればそれは継続である。
11:見た目より高い身長
実際の身長より高く見える人がいる。
テレビに映る有名人が特にそうである。
カメラの位置にも関係があるらしいが
橋本聖子の身長は156cmである。
大島優子は152cm。
美空ひばりは155cmであった。
一人で立っていると絶対にその高さには見えない。
ケ小平は150cmであった。
彼はあの体で人民解放軍200万人を指揮し
中華人民共和国13億人を指導した。
実際の身長より高く見えるのは中身のせいである。
12:川上慶子
川上慶子は日航ジャンボ機墜落事故の生存者だ。
ヘリコプターで救出される映像が印象に残る。
その後の彼女はどうなったか。
どのような人生を送っていたとしても
他人には関係ないことである。
彼女の人生がしあわせであってほしいと
他人のわれわれはどうしても思いたい。
しかしそれは彼女には負担だろう。
自分の子供に何かを期待するのも同じだ。
人生は思うままに自由に生きるものだ。
子供の人生は子供が自由に決めるものだ。
13:大坂の政治家
大坂人は政治と政治家を信用していない。
誰が政治家になっても同じだと思っている。
誰でも政治家になれる。
それが民主主義である。
タレントが政治家になってもいいのだ。
芸人は政治家になれるが政治家は芸人になれない。
芸人のほうが有能なのだ。
大坂人はそれをよく知っている。
14:しあわせ
自分はしあわせだと思っている人が
しあわせな人だ。
しあわせはまわりの他人が決めることではない。
本人ひとりが決めることだ。
まわりに遠慮する必要はない。
しあわせに遠慮はいらない。
世界でいちばんしわわせだと思っている人が
世界でいちばんしあわせな人だ。
15:宗教と経典
いま法華経の英訳「The Lotus Sutra」を読んでいる。
法華経は詩であり文学である。
多彩な比喩に満ちた詩である。
うんざりするほど繰り返しが多い詩である。
これを宗教の経典とする仏教の宗派がある。
文学は解釈によって宗教の経典となる。
聖書も同じだ。
経典は神や仏の教えではなく人の解釈である。
たんなる人間の教えにすぎない。
16:孤高
孤高とはただひとり超然として
高い理想を保つことである。
自分だけが高い理想だと思うことが孤高だ。
孤高であるには孤低でなければならない。
常に低い立場にいなければ孤高ではない。
地面をはいずりまわるのが孤高だ。
まわりから全く孤立しているのが孤高だ。
孤高はかっこいいものではない。
17:無駄
人生は自分が思い描いた通りにはならない。
それらを邪魔し阻害するものが無駄なものである。
と思い込んでいる。
自分が思い描けないものこそが人生である。
人生に無駄はない。
18:言語はなぜ変化するのか
言語は文法的に簡単な方向へ変化する。
発音はできるだけ労力を使わない方向へ変化する。
これらは理屈で説明がつく。
言語は本来普遍的なものである。
普遍と変化は矛盾している。
ある日仲間とか限られた社会でのみ通用する
特殊な言葉が発生する。
言語は普遍であると同時に特殊なものを生み出す。
その特殊なものが言語を変化させる要因なのでは。
19:ひとりだけの詩
小説家のほとんどはそれを職業としている。
詩人を職業としている人はほとんどいない。
小説家は読者を意識しなければならない。
自分が書きたいことを書いて読者を得る。
そんな小説家はまれだ。
読者を意識した詩人はどうであるか。
自分が書きたいことを書けない詩人は
詩人ではない。
たとえ読者がひとりもいなくても
私は書きたいことを書く。
20:詩と孤立
孤立しなければ詩は書けない。
まわりの人たちを意識しては詩は書けない。
何かに誰かに遠慮しては詩は書けない。
人の批判をおそれては詩は書けない。
他人の評価を意識しては詩は書けない。
21:君子の交わりは淡きこと水の如し
君子(くんし)でぃ言(い)いしぇえ出来(でぃき)たる
人(ちゅ)有(や)い侍(びい)ん。
人(っちゅ)や得(とぅく)成(な)いる時(とぅち)ぇえ
油口(あんだぐち)ん為侍(さびい)しが
損(すん)でぃ思(うむ)いねえ逃(ふぃんぎ)てぃ行(い)ちゃ侍(びい)ん。
君子(くんし)や損得(すんとぅく)考(かんげえ)らん事(ぐとぅ)
常(ちゃあ)水(みじ)ぬ如(ぐとぅ)有(あ)い侍(びい)ん。
22:Forbearance
Is it true that forbearance is a virtue?
Forbearance must have a limit.
Who decides the limit?
It is you not other persons.
If other persons determine,
You cannot forbear.
Forbearance for others is not forbearance.
23:世襲
政治家の世襲議員が多い。
会社の世襲社長も多い。
政治も会社も財産なのである。
大戦以前は身分も財産であった。
人間は何でも財産にしたがる。
政治家の世襲に猛反対している人も
自分の遺産相続となると駆けつける。
24:天下り
官僚の天下りにめくじらをたてる。
定年退職の人たちは最終の役職に
見合った体裁のいい職場を探す。
それが天下りであることに気づかない。
25:ラブレター
高校生のとき女生徒にラブレターを書いた。
ラブレターは開封されずに戻って来た。
手紙が添えられていた。
その手紙の内容が全く理解できなかった。
ふられたということだけはよくわかった。
30年ほどたったある日そのラブレターと
手紙がある所から突然出て来た。
彼女の手紙を読んだ。
今度はよく理解できたと思った。
彼女は同性愛者だったようだ。
それを隠すために男子生徒と付き合っていた。
彼女は私も同性愛者だと思ったらしい。
それを隠すために彼女にラブレターを
書いたのだと思ったらしい。
おそろしい文章力であった。
気づかれないように悟られないように
遠回しに書かれていた。
私は鈍感な上に恋愛経験もなかった。
自分のクラスに同性愛者がいるとは
考えもつかなかった。
開封されていないラブレターと
彼女からの手紙を破棄した。
26:平均寿命
平安時代の平均寿命は30歳で
江戸時代は35歳であった。
明治時代でも44歳であった。
昔の人は10代でじゅうぶん大人だった。
夏目漱石は49歳で亡くなった。
今なら随分早死にだが当時では長生きであった。
昔の人は現代人よりもはるかに死を意識していた。
死を意識している人生は充実している。
死をほとんど意識せずに終わった85年は
空虚な人生である。
27:武士のかっこよさ
武士はなぜいさましくいさぎよくかっこいいのか。
常に死と向き合っているからだ。
彼らはいつ死んでもいいと思っている。
いつでも死ねるのが武士だと思っている。
28:日記
私は日記を書いたことがない。
「一葉日記」・「断腸亭日乗」はいいと思う。
もし日記を書いていたなら
過去のことをあまり記憶していなかっただろう。
私は過去のことを比較的よく覚えている。
人間は文字にすると記憶から無くなってしまう。
日記には記憶が残るが頭の中には残らない。
日記を読むと過去の思い出がよみがえるらしいが
書いてしまったので記憶から消え去っているのだ。
29:哀愁
詩の本質はむなしさとはかなさだ。
よろこびはほとんど詩にならない。
私はハッピーエンドの映画より
どこまでもはてしなく哀愁が
ただよいながら終わる映画が好きだ。
30:鷗外と漱石
鴎外と漱石は読まなくなった。
「鷗外全集」・「漱石全集」は京都で処分した。
これは名文だと持ち帰った「即興詩人」も
いまはとても名文とは思えない。
鷗外・漱石の小説はむずかしい言葉でいえば衒学的。
簡単な言葉でいえば学者ぶっている。
「吾輩は猫である」が特にそうである。
あそこまで知識を見せびらかす必要があるのか。
学問・知識をあまりひけらかさないのが現代の美徳だ。
それが美徳かどうかは問題にしたくない。
昔の学者は学問というのは知識を並べたてて
ひけらかすものだと思っていた。
新井白石も荻生徂徠も本居宣長もみなそうであり
明治の学者もまたそうであった。
鷗外・漱石の小説はその延長線上にある。
小説もまた学問・知識をひけらかすものなのだ。
ふたりの小説には実際の経験が欠如している部分が多い。
経験・心理は学問と知識で想像できると思っている。
その想像がうそっぽくてしらじらしい。
実際の経験・心理は学問と知識を越えたところにある。
漱石・鴎外の小説がそれを立証している。
31:現在・過去・未来
過去は過ぎ去って今は存在しない。
未来も今は存在しない。
現在の今一瞬をつかもうと思った。
つかまえたと思った瞬間に
それは過去の一瞬となってしまった。
現在も過去も未来も存在しない。
32:英文法になぜはいらない。
なぜ三人称単数現在形には「s」が付くのか。
なぜ「g」ではなく「s」なのか。
「現在完了」なのになぜ「過去分詞」が使われるのか。
そのような質問ばかりする生徒がいる。
なぜ引力があるのか。
なぜ細胞があるのか。
なぜ地球があるのか。
そのような質問には答えられない。
英文法はことばのきまりなのだ。
なぜそんなきまりがあるのかを
説明することはできない。
どうしてもそれが知りたいのであれば
まず英文法をマスターすることだ。
そうすればそのような質問はしないはずだ。
33:イスラム教
イスラム教徒は一日に5回
メッカに向かって礼拝する。
神を忘れているひまがない。
神を信じないわけにはいかない。
神を信じるか信じないか考えていると
すぐに次の礼拝の時間が来る。
日本人は会社のイスラム教徒である。
34:テロリスト
もし江戸幕府が倒れなかったら
明治維新の志士たちはテロリストであった。
吉田松陰も伊藤博文もテロリストとなっていた。
もしイスラエルが建国されなければ
建国の父ベングリオンはテロリストであった。
伊藤博文を暗殺した安重根は日本では
テロリストであるが韓国では英雄である。
四十七士は考えようによってはテロリストだ。
テロリストと英雄・偉人はどのように区別するのか。
35:安藤昌益
安藤昌益は江戸時代の哲学的思想家である。
武士はみずから働かずに農民から搾取している。
どうどうと封建主義を非難した。
武士だけではなく働かない人たちをことごとく批判した。
人間はすべてみずから働かなくてはならないと言った。
働くというのは彼にとっては肉体労働のことである。
みずから畑を耕さなければならないと言った。
現代の社会は精神労働者が肉体労働者から搾取する
封建社会なのではないか。
36:大坂新世界の串カツ屋
深夜を過ぎた串カツ屋に入ると
テーブル席に客が二人だけ。
カウンターに座った。
お金はあまりない。
立てかけのメニューを開く。
「おまかせ串カツ」とチューハイを注文。
うずらの卵・キス・シシトウ・モチ・
牛肉・タマネギ・プチトマト。
大きなアルミ容器のタレにはつけず
すべて塩をかけて食べる。
若い女性店員が調理人と話をしている。
判別しづらいが精神障碍者のようだ。
見た目はアイドルのようだ。
調理人が一生懸命に話を合わせている。
内容のない話である。
女店員も調理人も懸命に話を続けている。
37:英語は日本語と同じ意味を持つ別の記号ではない
「おはよう」は「Good morning」である。
「おはよう」は「早い」という意味。
「Good morning」は「よい朝」という意味。
「ありがとう」は「有ることがむずかしい」という意味。
「Thank you」は「あなたに感謝する」という意味。
英語は日本語と同じ意味を持つ別の記号ではない。
まるごと覚えるしかない。
まるごと覚えるしかない。
日本語を別の記号に変えても英語にはならない。
ひたすら覚えるしかない。
ひたすら覚えるしかない。
38:懐疑と独断
自分の書いている詩の内容が正しいと思うのなら
それは独断である。
自分の書いている詩の内容が間違っていると思うのなら
それは懐疑である。
私はたえずその間に揺れている。
独断を押し通そうと頑張っても突然懐疑がやってくる。
懐疑の中にいると自分が自分でなくなる。
自己が崩壊しそうである。
詩を書くことは懐疑と独断の間を揺れ動くことだ。
この揺れは一生続くことだろう。
39:オハイオ州
沖縄復帰の十年ほど前に親戚のおばさんが
アメリカのオハイオ州の農家に嫁いだ。
沖縄を発つとき親戚はみんな思った。
アメリカに豊かで幸せな生活が待っていると。
二十年ぶりに家族で沖縄に帰省した。
飛行機の中で長男が言ったそうだ。
「あの大きな湖は何という名前か。」
それは太平洋であった。
オハイオ州ではジャガイモ畑を経営していた。
日々食べて行くだけで精一杯であった。
帰省した沖縄は復帰後10年で大きく変わっていた。
おばさんはあまりにも豊かになった沖縄に驚いた。
長女はモデルでも十分通用する美人であった。
日本語が全く話せなかった。
40:言葉は字の通りには発音しない
「apple」の発音は「ぃやぽー」である。
「beautiful」の発音は「びゅーりふぉお」。
「sentimental」の発音は「せんにめんのお」。
「言う」の発音は「ぃゆう」である。
「愛は」の発音は「ayiwa」。
「青い家」の発音は「awoyi,iye」。
字の通りに発音するというのは
思い込みであり迷信である。
発音を文字で正確に表わすことは不可能だ。
正確に表わせたとしても発音自体が変化する。
英語は聞こえた通りに発音しなければならない。
それが外国語習得の鉄則である。
41:英語は意味から入るのではなく音から入れ
なぜ英語が聞き取れないのか。
意味を考えようとするからだ。
意味とは日本語である。
英語を聞き取るのになぜ日本語の意味が必要なのか。
日本語が英語の聞き取りを邪魔しているのだ。
日本語での意味がわからなくてもよい。
まず聞き取ることである。
何度も何度も繰り返し聞き取ることである。
意味はあとからおっかけてくる。
42:うそとほんと
この世界にはうそもほんとも存在しない。
うそっぽい言い方とほんとっぽい言い方があるだけだ。
うそっぽいほんとはうそであり
ほんとっぽいうそはほんとである。
「〜ぽい」は修飾語である。
「〜ぽい」をとってみればわかる。
43:I came from Okinawa
I came from Okinawa.
I am a poor singer.
I present you a Okinawan song.
You cannot understand its meaning.
Songs need no sense.
They are music.
Music has no meaning.
Meaning gives you nothing.
44:後生畏るべし
人(っちゅ)や諸(むる)後(あとぅ)から生(ぅん)まりゆん。
先(さち)成(な)てぃ生(ぅん)まりたる人(っちゅ)ん
後(あとぅ)から生(ぅん)まりたる人(っちゅ)ん
同(ぃい)ぬ者(むん)どぅ有(や)る。
後(あとぅ)から生(ぅん)まりたる人(っちゅ)や
今(なま)から如何(ちゃあ)成(な)いがすら分(わ)からん。
畏(うす)りらんねえ成(な)らん。
45:仏足石歌体
今日もまた雨が落ちつつ時がゆくひとり静かに本を読みつぎ明日も読みつぐ
46:言葉が詩を導く
頭の中にあるものを言葉を使って表に出す。
それが詩だ思っていた。
心と精神が言葉をあやつるのではない。
言葉というものが心と精神を導いているのだ。
47:ギャンブル
私はギャンブルは一切したことがない。
しかしギャンブルにのめりこむ人たちを間近に見た。
電車賃までかけてしまい尼崎から神戸まで歩いて帰った人。
電気とガスを止められカップ麺に水を注いで食べた人。
親戚中からお金を借りまくって岡山から逃げて来た人。
お金を工面するために犯罪に手をそめた人。
彼らがようやく理解できるようになった。
彼らにとっては勝った時の喜びだけが快楽ではない。
負けた時のどん底こそ快楽なのである。
勝った絶頂と負けたどん底の間を往復する。
その往復こそが最高の快感・快楽なのである。
ギャンブルをしない人たちはその往復の幅が短いだけだ。
48:原宿のアパート
二十代のころ友達の引っ越しの手伝いをした。
とり壊されて今はない原宿の都営住宅であった。
そこから引っ越すのではなくそこへ引っ越したのだ。
家賃は二万円ほどであった。
かびくさいトイレ臭いぼろぼろの住宅であった。
原宿駅から10分表参道に200メートルほどだった。
引っ越しが終わったあとひとりで表参道を歩いた。
竹下通りを散策して原宿駅で山の手線に乗った。
当時は竹の子族がまだ全盛であった。
40年後の今ユーチューブで表参道と原宿を見た。
きらびやかでしらじらしい大きな建物。
うっとうしいうんざりするひとごみ。
いまの私には表参道・原宿よりも
みすぼらしかったあのアパートの
ほうがはるかになつかしい。
49:八時だよ全員集合
二十代の中ごろ埼玉県の入間市民会館に
「八時だよ全員集合」の公開放送を見に行った。
友達がテレビの大道具をしていたので入場券がもらえた。
入場券はたしかテレビ局への応募抽選であった。
当時はたいへん人気のある国民的な番組であった。
公開放送は「八時だよ」の掛け声とともに停電した。
生放送中のハプニングであった。
「八時だよ」はいろいろなハプニング事故で有名だった。
十分ほどで再開したがもっと長く感じられた。
ドタンバタン・ガチャンガチャンという音が響いた。
出演者が懐中電灯を顔にあててその場をしのいだ。
はずかしがって顔に懐中電灯をあてない出演者もいた。
電気が復旧して「八時九分半だよ」の掛け声で始まった。
そのあとのことはほどんど覚えていない。
ゲストが西城秀樹・河合奈保子・菊池桃子だったのは覚えている。
人間は何かの事故・ハプニングに出会うと記憶が飛んでしまう。
あとでわかったことだが当日の入場券をもらえなかった人が
はらいせに電気ケーブルを切断したらしい。
「八時だよ」はそのあと生放送がへりスタジオでの収録が多くなった。
そして翌年に放送が終了した。
50:詩人は孤立する
詩を書くためには孤立しなければならない。
詩は人を批評するものだ。
批評される人たちの側にいて詩は書けない。
批評される人たちと仲よくすることはできない。
詩を書く人が少なくなっていくのはそのためだろう。
私は人を批評しない詩を書くことはできない。