ひとりだけの詩:9
1:人生を決めた大きな事故
小学校6年の時に三階の屋上から落ちた。
何をしていたか覚えていないが夜であった。
ほとんどまったく怪我がなかった。
下にたまたま大きなガジュマルの木があった。
それがクッションとなった。
翌日現場にいくと落ちたすぐそばに釘のたくさん
刺さった木材が山のように積んであった。
私が今存在するのは奇蹟なのである。
この事故がその後の私の人生を決めた。
なにがあってもすべてがおまけなのだ。
生きていることだけでありがたいことなのだ。
私は死をおそれない。
いつ死んでも何の不思議もない。
死はつねに私のすぐそばにある。
死についての詩が多いのは説明がつく。
死とともに生きた人生は充実していた。
これからも充実することだろう。
2:傲慢で尊大
私は傲慢で尊大である。
えらそうである。
知ったかぶりである。
生まれた時からそうである。
これからもそうである。
直そうとは思わない。
直してはいけない。
高校の時ニューズウィークを
バスの中で読んでいた。
喫茶店でまわりに見えるように
源氏物語を読んでいた。
むずかしそうな哲学書・洋書を
本棚に並べている。
そのような馬鹿なことをしない
ふつうの人はどうなのか。
洋書も読めず哲学もわからず
古典も読まずに人生を終える。
傲慢と尊大と知ったかぶりは
結局人生を高めるのである。
高い所を目指さなければ
高い所へは登れないのだ。
他人に見せずにそれができる
人もたくさんいる。
見せれば見せた分だけそこに
到達しようとする人もいる。
見せるか見せないかの差である。
見せない人は言い訳ができる。
見せた人にはそれが出来ない。
3:責任転嫁
多人数によるいじめといやがらせ。
私達にはこのぐらいの仲間がいると見せたがる。
威圧するという以外に理由がある。
自分たちに非があった場合に誰が責任をとるか。
自分は関係ないと逃げるためである。
大勢いればすべてまわりに責任転嫁ができる。
私は関係ありませんという顔ができる。
すべては私の責任ですという人がいれば
私はその人に表彰状を書きたい。
4:我那覇真子
私は我那覇真子が好きだ。
彼女の自信と信念が好きだ。
彼女はジャンヌダルクではない。
ジャンヌダルクは民衆が作り上げ
民衆によってひきずりおろされた。
彼女は自らの力で自分を作り上げた。
彼女の信念はけして消え去ることはない。
5:自由と楽な道
自由はめんどくさい。
自由には困難がつきまとう。
自由ではない楽な方法を選んでしまう。
自由でないほうが生きて行きやすい。
しかし私はこれからも自由に生きていきたい。
6:虫嫌いな人達
虫を毛嫌いする人が多い。
演技のようである。
ほとんど演技だろう。
演技はやがて現実と区別がなくなる。
虫を嫌う人達は自然から嫌われる。
細菌・ウィールスにおかされやすい。
虫は自然に対しての抵抗力をやしなう。
虫嫌いの人たちは自分で抵抗力を放棄している。
7:蝶の幼虫
ベランダのニチニチ草を一茎花瓶に生けた。
翌朝見ると葉っぱがすべてなくなっていた。
花瓶のそばに蝶の幼虫がいた。
とても大きかった。
大きいとはいえよくあれだけの葉っぱを。
おそるべき食欲である。
よく見ると大きなフンもいっしょだった。
葉っぱが幼虫とフンに変化した。
幼虫はやがて蝶へと形を変える。
8:むなしさこそが人生だ
よろこびとうれしさは人生のどのくらいか。
人生のほとんどはせつなさとむなしさである。
せつなさとむなしさは一瞬のものではない。
せつなさとむなしさこそが人生なのだ。
よろこびとうれしさこそが一瞬なのだ。
9:となりの部屋のマングースー
私のとなりの部屋には大きなマングースーがいる。
ときどきけたたましい音をたてる。
私がちょっとでも物音を立てると真似をする。
私の立てた音の三倍以上の音を出す。
人間なみに何かをアピールしたいようである。
何をアピールしたいのか私にはわからない。
たとえ分かっても私は私の自由に生きる。
10:琉球語の会話
高2の家庭訪問のとき両親が不在だった。
祖母が対応した。
祖母は共通語がほとんど話せなかった。
担任の女の先生は私より十三歳ぐらい上だった。
先生は琉球語で会話をした。
きれいな敬語だった。
かっこよかった。
いままでのどの先生よりもかっこよかった。
私が琉球語の会話に目覚めたのはそれからだ。
英語でも先生のような会話ができればと思った。
11:数学嫌い
高2の担任は数学の先生だった。
先生に出会って数学が苦手であることに気づいた。
私は数学に挑戦しようとは思わなかった。
逆に数学以外の分野に力をそそごうと決心した。
その選択は間違ってはいなかった。
数学に力をそそいでいたなら私の今はなかった。
12:高1の英語の先生
高1の英語の先生はアメリカの留学経験者だった。
先生からアメリカそのものを感じることが出来た。
アメリカへのあこがれがますます大きくなった。
英語の先生は英語だけを教えるのではない。
英語の背景を教えなければだめだ。
先生はホイットマンの研究家だった。
先生のおかげで英語の詩の世界へ入ることができた。
13:高3の英語の先生
高3の英語の先生もアメリカの留学経験者だった。
私は英語の先生に恵まれていた。
先生は発音がよかった。
英語の勉強の仕方をいろいろと教わった。
英語学についても教わった。
英単語の語彙の増やし方も教わった。
留学の経験談も話してくれた。
「Indianapolis」のアクセントは「na」だと教わった。
先生は後年球陽高校の校長先生になった。
14:明大前の王将のギョーザ
20代のころ近くの駅は明大前であった。
駅前にギョーザの王将があった。
一人前が280円であった。
二人前とご飯大盛が私のいつものメニューだった。
そのころの沖縄はギョーザがめずらしかった。
いなか者の私はギョーザが好きだった。
今はスーパーで手軽に冷凍のギョーザが買える。
15:永福町の豚汁定食
永福町の駅前の豚汁定食が好きだった。
本土の料理でもっとも沖縄料理に近い。
東京にいれば東京の食べ物を食べればいい。
たしかにそうである。
しかしやっぱり沖縄料理がなつかしい。
当時は沖縄料理の店はほとんどなかった。
沖縄料理を提供する店もなかった。
人は一生郷土の料理から逃げられない。
16:浦和の正月
浦和は現在のさいたま市である。
以前は埼玉県の県庁所在地だった。
浦和駅には急行が止まらなかった。
隣の与野駅に止まる。
急行が止まらない県庁所在地だった。
元旦に浦和で人と待ち合わせた。
時間を二時間間違えてしまった。
間違っていたのはあとで分かった。
待ち合わせ場所で二時間も立っていた。
正月は人通りもすくなく寒かった。
浦和へはその一度きりだ。
正月元旦が来るたびに思い出す。
17:てんとう虫
てんとう虫は美しい。
そう思わない人が大勢だ。
あの光沢と輝き。
目のさめるようなオレンジ。
黒く光り輝く斑点。
絵では再現できない。
どんな絵具でも無理だ。
こんなに小さいものなのに
人間には作り出せない。
18:薬師寺東塔
薬師寺東塔を三回見た。
美しい。
1300年ぐらい立っている。
何度か解体工事はしたそうだ。
近年再建された西塔よりも
はるかに美しい。
西塔は東塔と同じ美しさになる。
1300年後だ。
人はなぜ新築の家が好きなのか。
私には理解できない。
19:だんだん小さくなる女の子
電車の座席の向かい側に女の子が4人座っていた。
私が話題のようだ。
聞こえるような小声で話している。
私の身なりがいなか臭くてダサイようだ。
ずいぶんと楽しそうな話題のようだ。
次の駅で一人がおり三人になった。
声が小さくなったが話題はまだ私のようだ。
次の次の駅でまた一人おりて二人になった。
もう聞こえない声だが目付きが私の話題だ。
とうとう女の子が一人になった。
さすがに目の置き場をなくして向こうの席へ移った。
20:解体作業
日雇いの解体作業をやったことがある。
仕事着のまま電車で帰った。
まわりの人の目付きがおかしい。
私の服を見ているのだ。
人は服装で判断することを切実に実感した。
私の中身なんかは見ていない。
そもそも中身は見えない。
だからこそ人は服装にこだわるのだ。
21:東海朝㬢(程順則)
宿霧新開敝海東
扶桑万里渺飛鴻
打魚小艇初移棹
揺得波光幾点紅
Morning sun in the east sea(Tei Junsoku)
Morning mists fade away to open the sea.
A little bird is flying over the east sky.
A fisher in a boat shifts the paddle stick.
Twinkling lights move in the crimson wavy.
22:小景異情・その2(室生犀星)
故郷(くちょお)や遠(とぅう)くんかい居(うぅ)てぃどぅ思(うむ)ゆる
彼(あ)んし悲(なちか)しく思(うむ)ゆる
若(む)し
貧相(ひんすう)し人(っちゅ)ぬ国(しま)ぬ乞食(くんちゃあ)成(な)てぃん
帰(けえ)てぃ来(ちゅう)る処(とぅくろ)お有(あ)らん
一人(ちゅい)東京(とおちょお)ぬ夕去(ゆうさん)でぃに
故郷(くちょお)思(うむ)てぃ涙(なだ)落(う)とぅすん
其(う)ぬ心(くるる)持(む)っち
沖縄(うちなあ)思(う)び出(ぃん)じゃしぇえ
沖縄(うちなあ)思(う)び出(ぃん)じゃしぇえ
23:金魚すくい
縁日の金魚すくいのそばを何度も通り過ぎた。
通るたびに考える。
すくった金魚はこのあとどうなるのか。
ちゃんと金魚鉢に入れるのか。
そのあと餌をあげて水をかえるのか。
何日ぐらい生きのびるのか。
想像ははてしない。
ビニールに入った金魚を見ながら
すくった人は後のことを想像しているだろうか。
24:二段ベッド
小学校の頃いとこと同居生活をしていた。
部屋が狭くて二段ベッドを入れた。
二階をいとこにとられてしまった。
子どもはどうしても二階が好きだ。
大人になって男子寮を経験した。
二段ベッドがあった。
下のほうがだんぜんよかった。
下のほうが寝やすくてまた便利だ。
子供と大人では違うところがある。
25:北烏山の喫茶店
北烏山の喫茶店でトイレに入った。
男女兼用だった。
私のあとに女の子が入った。
トイレから帰ると私の隣の席だった。
連れの女の子とトイレの話が始まった。
ずいぶんとウンコ臭かったらしい。
私は紙ナプキンに
「くさくてごめんなさい」と書いて
女の子に手渡し喫茶店を出た。
女の子はたいそうな驚きようだった。
ウンコは臭くて当たり前である。
26:水戸黄門の印籠
水戸黄門の印籠があればありがたい。
現代人は誰でも水戸黄門の印籠を持っている。
「これは上の命令です。」
「法律で決まっています。」
「これは会社のきまりです。」
まさしく水戸黄門の印籠である。
これに逆らうには進退を決めなければならない。
27:ゲゲゲの女房
NHKの「ゲゲゲの女房」を見た。
苦労の生活が長かった。
これほどかと思うほど長かった。
売れたあとからは視聴しなかった。
私は永遠に苦労の生活だ。
28:花子とアン
NHKの「花子とアン」を見た。
おもさうしを英訳している時だった。
この番組を見てから電車に乗った。
電車の中でもおもろさうしだった。
花子は立派な翻訳家になった。
29:個性と平等
個性と平等とは両立しない。
現代の学校はたいへんな綱渡りだ。
先生でさえ大変なのに生徒はもっと大変だ。
頭がおかしくならないのが不思議だ。
この矛盾を解決する方法は一つしかない。
どちらかを切り捨てることだ。
それが一番簡単であることを知るべきだ。
30:明治神宮
明治神宮に参拝しようとした。
入り口で警備員に注意された。
短パンだったのだ。
やむなく引き返した。
参拝にはそれなりの身なりと
マナーが必要なのだ。
31:能舞台
金春座の能を見た。
ほかの演芸とは違っていた。
演芸はリラックスするものだ。
能はそうではない。
緊張の連続だ。
舞台の上の人もみんな緊張していた。
演芸がこれほど緊張していいのか。
それが能である。
32:白川静
白川静は漢字の学者である。
古代甲骨文字の研究家だ。
甲骨文字を一つづつ丁寧に写し取った。
その数は膨大である。
地道な作業の果てに彼の学問がある。
漢字は手で書かなければ駄目だ。
何度も書くことによって自分のものとなる。
めんどくさい努力なしに大きな成果はない。
努力せずに習得する方法を追い求めている。
方法ばかりを探していると無為な人生となる。
33:小西甚一
小西甚一は国文学者だ。
高校時代彼の参考書で古文を勉強した。
私が古文に興味を持つきっかけとなった。
文章がおもろしろかった。
彼は中国語とフランス語も理解できる。
あらゆる分野に博学であった。
彼は私のあこがれであり続けた。
34:前畑秀子
前畑秀子は日本人女性初の
オリンピック金メダルリストだ。
200メートル平泳ぎであった。
松川小学校で彼女の特別授業を受けた。
プールで直接指導を受けた。
私の時間はほんのわずかであった。
たとえわずかでも金メダリストに指導された。
それは一生の自信となった。
私は今も平泳ぎが得意だ。
35:小学校3年の担任
小学校3年の担任は女の先生だった。
とてもやさしい良い先生だった。
字がきれいだとほめられた。
途中で学校を辞めた。
理由はわからない。
突然であった。
あいさつも何もなかった。
誰も行く先がわからなかった。
あの先生はその後どうなったのか。
いまも時々理由を想像して思い出す。
36:広末涼子のお母さん
「若い時にはこれしかないと思ってしまう。
どうしてもこれだと思ってしまう。
これ以外の道は考えられないと思ってしまう。
しかしあとから振り返るとそうではない。
ほかにいくらでも道はあったのだ。
扉はいくつもあったのだ。
ひとつだけだと思い込んでいたのだ。
それに気づかされる。」
広末涼子のお母さんの言葉だ。
37:新古今和歌集と京都
新古今和歌集を読むと京都を思い出す。
京都を思い出さずに新古今和歌集は読めない。
新古今の作者はほとんどすべてが上流貴族であった。
京都以外に出ることがなかった。
京都だけで一生をすごした。
彼らが見た風景は京都だけである。
想像した風景も京都の景色を越えることはない。
新古今和歌集の風景は京都なのである。
京都を見たことのない人は新古今和歌集の
風景をどのように想像しているのだろう。
38:源氏物語と京都
源氏物語のむずかしさはその背景にある。
背景は京都である。
京都を知らずに源氏物語はむずかしい。
京都に住んでみてそう思った。
現代の今でも京都は源氏物語の世界である。
39:夢は白黒で見る
私の見る夢は白黒だ。
カラーで夢を見たことがない。
現代人には考えられないことだ。
原因は子供の時見たテレビの影響らしい。
夢だけではない。
過去を思い出す時もそうだ。
昔の時代を想像する時がそうだ。
カラーでは想像がむずかしい。
どうしても白黒になる。
白黒映画に愛着がある。
白黒は別の世界だ。
私には白黒とカラーの両方の世界がある。
40:新しいことへの挑戦
新しいことへの挑戦はめんどくさい。
できるなら避けて通りたい。
だからみんな避けて通っている。
いちばん楽でしあわせな生き方は何か。
毎日同じことをすることだ。
だからしあわせな人は多い。
新しいことをしたあとはしあわせだ。
するまでとしている時は苦痛だ。
特に取り掛かるまでが大変だ。
だからしたあとのしあわせより
何もしないしあわせのほうを選ぶ。
41:恩納嶽(蔡温)
一片高峰尽是松
吾将此地訪仙蹤
雲深祇怕迷前路
却使院郎笑蔡邕
All over the high mountain is whole pine trees.
I come here to seek for the trace of the no-world.
I almost lose my way in the deep-clouded mountain.
Reversely the officials make the hermit ashamed. *the hermit is Saiyu
42:蛍の光
蛍(じいなあ)ぬ光(ふぃちゃい)窓(あかい)ぬ雪(ゆち)
書物(しゅむち)読(ゆ)む月日(ちちふぃ)重(かさ)び重(かさ)び
何時(いち)がすら年(とぅし)ん杉(しじ)ぬ戸(はしる)
開(あ)きてぃ今日(ちゅう)ぬ朝(あさ)別(わか)りてぃ行(い)ちゅん
43:Apple:リンゴ
リンゴは西洋ではふつうの果物だ。
アップルパイはふつうのパイだ。
日本にはいつ伝来したのだろう。
それほど安い果物ではない。
電車で軽井沢に行った。
電車から見える長野盆地は真っ平らだった。
電車の窓から人家が見えた。
何かの果物の木が立っていた。
リンゴの木だった。
長野では普通の家にリンゴの木があるのだ。
うらやしいと思った。
沖縄には普通の家にシークァーサーの木がある。
44:独学の良いところ
独学には長所がある。
自分の好きなことが勉強できる。
大学に行って先生に教わると
嫌々やらされることがある。
強制されることがある。
いつのまにか進路が決められる。
それが自分に合っていたのか
あとから後悔することがある。
自分の好きなことをやった人は
その選択には後悔しない。
達成できなかったことが後悔だ。
45:なちかさん
「なちかさん」は「悲しい」という意味だ。
共通語の「なつかしい」とは違う。
「なつかしい」はいい思い出のことだ。
「なちさかん」は悲しい思い出だ。
沖縄の人の思い出は悲しいことばかりだ。
46:まあすん
「まあすん」は「死ぬ」という意味だ。
「回すん」ではなく「儘すん」だろう。
自分の自由になるという意味だろう。
生きている時は自分の思い通りにはならない。
死んで初めて自分の「儘(まま)」になる。
47:犬も歩けば棒に当たる
このことわざはどういう意味だろう。
いいことがあるという意味か。
わざわいがあるという意味か。
両方とも正しいのだ。
全く逆の二つの意味を持っている。
めずらしいことわざだ。
棒はいいものなのか悪いものなのか。
その解釈の違いである。
聞いた人はその場でどう解釈するのだろう。
48:情けは人の為ならず
情けは人の為ならず
自分の為である。
というのがもともとの意味だ。
「情けは人の為にならない」
と解釈する人が多い。
正しい解釈なのだ。
情けは人の為にならないのである。
そういう時代であり世の中なのだ。
49:めいとおい
弟の家に行った。
わざわざおいとめいがあいさつに来た。
私は話すことができなかった。
なんでもいいから話せばいいのだ。
それができなかった。
自閉症なのだ。
年をとるとだんだんと
健常者ではなく自閉症者に近づく。
50:目的と手段
目的が正しければどのような手段も正しい。
そう思っているひとが多い。
手段自体がどうかを考える人がいない。
目的が正しくなかった場合その手段はどうなるのか。
当然その手段は全面的に否定される。
その危機に直面した場合人はどうすればいいのか。
目的が間違っていたと認めればいいのである。
これが非常にむずかしい。
だからますますあらゆる手段を使おうとする。