表紙          10



ひとりだけの詩:9

 

1:人生を決めた大きな事故

 

小学校6年の時に三階の屋上から落ちた。

何をしていたか覚えていないが夜であった。

ほとんどまったく怪我がなかった。

下にたまたま大きなガジュマルの木があった。

それがクッションとなった。

翌日現場にいくと落ちたすぐそばに釘のたくさん

刺さった木材が山のように積んであった。

私が今存在するのは奇蹟なのである。

この事故がその後の私の人生を決めた。

なにがあってもすべてがおまけなのだ。

生きていることだけでありがたいことなのだ。

私は死をおそれない。

いつ死んでも何の不思議もない。

死はつねに私のすぐそばにある。

死についての詩が多いのは説明がつく。

死とともに生きた人生は充実していた。

これからも充実することだろう。

 

2:傲慢で尊大

 

私は傲慢で尊大である。

えらそうである。

知ったかぶりである。

生まれた時からそうである。

これからもそうである。

直そうとは思わない。

直してはいけない。

高校の時ニューズウィークを

バスの中で読んでいた。

喫茶店でまわりに見えるように

源氏物語を読んでいた。

むずかしそうな哲学書・洋書を

本棚に並べている。

そのような馬鹿なことをしない

ふつうの人はどうなのか。

洋書も読めず哲学もわからず

古典も読まずに人生を終える。

傲慢と尊大と知ったかぶりは

結局人生を高めるのである。

高い所を目指さなければ

高い所へは登れないのだ。

他人に見せずにそれができる

人もたくさんいる。

見せれば見せた分だけそこに

到達しようとする人もいる。

見せるか見せないかの差である。

見せない人は言い訳ができる。

見せた人にはそれが出来ない。

 

3:責任転嫁

 

多人数によるいじめといやがらせ。

私達にはこのぐらいの仲間がいると見せたがる。

威圧するという以外に理由がある。

自分たちに非があった場合に誰が責任をとるか。

自分は関係ないと逃げるためである。

大勢いればすべてまわりに責任転嫁ができる。

私は関係ありませんという顔ができる。

すべては私の責任ですという人がいれば

私はその人に表彰状を書きたい。

 

4:我那覇真子

 

私は我那覇真子が好きだ。

彼女の自信と信念が好きだ。

彼女はジャンヌダルクではない。

ジャンヌダルクは民衆が作り上げ

民衆によってひきずりおろされた。

彼女は自らの力で自分を作り上げた。

彼女の信念はけして消え去ることはない。

 

5:自由と楽な道

 

自由はめんどくさい。

自由には困難がつきまとう。

自由ではない楽な方法を選んでしまう。

自由でないほうが生きて行きやすい。

しかし私はこれからも自由に生きていきたい。

 

6:虫嫌いな人達

 

虫を毛嫌いする人が多い。

演技のようである。

ほとんど演技だろう。

演技はやがて現実と区別がなくなる。

虫を嫌う人達は自然から嫌われる。

細菌・ウィールスにおかされやすい。

虫は自然に対しての抵抗力をやしなう。

虫嫌いの人たちは自分で抵抗力を放棄している。

 

7:蝶の幼虫

 

ベランダのニチニチ草を一茎花瓶に生けた。

翌朝見ると葉っぱがすべてなくなっていた。

花瓶のそばに蝶の幼虫がいた。

とても大きかった。

大きいとはいえよくあれだけの葉っぱを。

おそるべき食欲である。

よく見ると大きなフンもいっしょだった。

葉っぱが幼虫とフンに変化した。

幼虫はやがて蝶へと形を変える。

 

8:むなしさこそが人生だ

 

よろこびとうれしさは人生のどのくらいか。

人生のほとんどはせつなさとむなしさである。

せつなさとむなしさは一瞬のものではない。

せつなさとむなしさこそが人生なのだ。

よろこびとうれしさこそが一瞬なのだ。

 

9:となりの部屋のマングースー

 

私のとなりの部屋には大きなマングースーがいる。

ときどきけたたましい音をたてる。

私がちょっとでも物音を立てると真似をする。

私の立てた音の三倍以上の音を出す。

人間なみに何かをアピールしたいようである。

何をアピールしたいのか私にはわからない。

たとえ分かっても私は私の自由に生きる。

 

10:琉球語の会話

 

高2の家庭訪問のとき両親が不在だった。

祖母が対応した。

祖母は共通語がほとんど話せなかった。

担任の女の先生は私より十三歳ぐらい上だった。

先生は琉球語で会話をした。

きれいな敬語だった。

かっこよかった。

いままでのどの先生よりもかっこよかった。

私が琉球語の会話に目覚めたのはそれからだ。

英語でも先生のような会話ができればと思った。

 

11:数学嫌い

 

高2の担任は数学の先生だった。

先生に出会って数学が苦手であることに気づいた。

私は数学に挑戦しようとは思わなかった。

逆に数学以外の分野に力をそそごうと決心した。

その選択は間違ってはいなかった。

数学に力をそそいでいたなら私の今はなかった。

 

12:高1の英語の先生

 

高1の英語の先生はアメリカの留学経験者だった。

先生からアメリカそのものを感じることが出来た。

アメリカへのあこがれがますます大きくなった。

英語の先生は英語だけを教えるのではない。

英語の背景を教えなければだめだ。

先生はホイットマンの研究家だった。

先生のおかげで英語の詩の世界へ入ることができた。

 

13:高3の英語の先生

 

高3の英語の先生もアメリカの留学経験者だった。

私は英語の先生に恵まれていた。

先生は発音がよかった。

英語の勉強の仕方をいろいろと教わった。

英語学についても教わった。

英単語の語彙の増やし方も教わった。

留学の経験談も話してくれた。

Indianapolis」のアクセントは「na」だと教わった。

先生は後年球陽高校の校長先生になった。

 

14:明大前の王将のギョーザ

 

20代のころ近くの駅は明大前であった。

駅前にギョーザの王将があった。

一人前が280円であった。

二人前とご飯大盛が私のいつものメニューだった。

そのころの沖縄はギョーザがめずらしかった。

いなか者の私はギョーザが好きだった。

今はスーパーで手軽に冷凍のギョーザが買える。

 

15:永福町の豚汁定食

 

永福町の駅前の豚汁定食が好きだった。

本土の料理でもっとも沖縄料理に近い。

東京にいれば東京の食べ物を食べればいい。

たしかにそうである。

しかしやっぱり沖縄料理がなつかしい。

当時は沖縄料理の店はほとんどなかった。

沖縄料理を提供する店もなかった。

人は一生郷土の料理から逃げられない。

 

16:浦和の正月

 

浦和は現在のさいたま市である。

以前は埼玉県の県庁所在地だった。

浦和駅には急行が止まらなかった。

隣の与野駅に止まる。

急行が止まらない県庁所在地だった。

元旦に浦和で人と待ち合わせた。

時間を二時間間違えてしまった。

間違っていたのはあとで分かった。

待ち合わせ場所で二時間も立っていた。

正月は人通りもすくなく寒かった。

浦和へはその一度きりだ。

正月元旦が来るたびに思い出す。

 

17:てんとう虫

 

てんとう虫は美しい。

そう思わない人が大勢だ。

あの光沢と輝き。

目のさめるようなオレンジ。

黒く光り輝く斑点。

絵では再現できない。

どんな絵具でも無理だ。

こんなに小さいものなのに

人間には作り出せない。

 

18:薬師寺東塔

 

薬師寺東塔を三回見た。

美しい。

1300年ぐらい立っている。

何度か解体工事はしたそうだ。

近年再建された西塔よりも

はるかに美しい。

西塔は東塔と同じ美しさになる。

1300年後だ。

人はなぜ新築の家が好きなのか。

私には理解できない。

 

19:だんだん小さくなる女の子

 

電車の座席の向かい側に女の子が4人座っていた。

私が話題のようだ。

聞こえるような小声で話している。

私の身なりがいなか臭くてダサイようだ。

ずいぶんと楽しそうな話題のようだ。

次の駅で一人がおり三人になった。

声が小さくなったが話題はまだ私のようだ。

次の次の駅でまた一人おりて二人になった。

もう聞こえない声だが目付きが私の話題だ。

とうとう女の子が一人になった。

さすがに目の置き場をなくして向こうの席へ移った。

 

20:解体作業

 

日雇いの解体作業をやったことがある。

仕事着のまま電車で帰った。

まわりの人の目付きがおかしい。

私の服を見ているのだ。

人は服装で判断することを切実に実感した。

私の中身なんかは見ていない。

そもそも中身は見えない。

だからこそ人は服装にこだわるのだ。

 

21:東海朝㬢(程順則)

 

宿霧新開敝海東

扶桑万里渺飛鴻

打魚小艇初移棹

揺得波光幾点紅

 

Morning sun in the east seaTei Junsoku)

 

Morning mists fade away to open the sea.

A little bird is flying over the east sky.

A fisher in a boat shifts the paddle stick.

Twinkling lights move in the crimson wavy.

 

22:小景異情・その2(室生犀星)

 

故郷(くちょお)や遠(とぅう)くんかい居(うぅ)てぃどぅ思(うむ)ゆる

彼(あ)んし悲(なちか)しく思(うむ)ゆる

若(む)し

貧相(ひんすう)し人(っちゅ)ぬ国(しま)ぬ乞食(くんちゃあ)成(な)てぃん

帰(けえ)てぃ来(ちゅう)る処(とぅくろ)お有(あ)らん

一人(ちゅい)東京(とおちょお)ぬ夕去(ゆうさん)でぃに

故郷(くちょお)思(うむ)てぃ涙(なだ)落(う)とぅすん

其(う)ぬ心(くるる)持(む)っち

沖縄(うちなあ)思(う)び出(ぃん)じゃしぇえ

沖縄(うちなあ)思(う)び出(ぃん)じゃしぇえ

 

23:金魚すくい

 

縁日の金魚すくいのそばを何度も通り過ぎた。

通るたびに考える。

すくった金魚はこのあとどうなるのか。

ちゃんと金魚鉢に入れるのか。

そのあと餌をあげて水をかえるのか。

何日ぐらい生きのびるのか。

想像ははてしない。

ビニールに入った金魚を見ながら

すくった人は後のことを想像しているだろうか。

 

24:二段ベッド

 

小学校の頃いとこと同居生活をしていた。

部屋が狭くて二段ベッドを入れた。

二階をいとこにとられてしまった。

子どもはどうしても二階が好きだ。

大人になって男子寮を経験した。

二段ベッドがあった。

下のほうがだんぜんよかった。

下のほうが寝やすくてまた便利だ。

子供と大人では違うところがある。

 

25:北烏山の喫茶店

 

北烏山の喫茶店でトイレに入った。

男女兼用だった。

私のあとに女の子が入った。

トイレから帰ると私の隣の席だった。

連れの女の子とトイレの話が始まった。

ずいぶんとウンコ臭かったらしい。

私は紙ナプキンに

「くさくてごめんなさい」と書いて

女の子に手渡し喫茶店を出た。

女の子はたいそうな驚きようだった。

ウンコは臭くて当たり前である。

 

26:水戸黄門の印籠

 

水戸黄門の印籠があればありがたい。

現代人は誰でも水戸黄門の印籠を持っている。

「これは上の命令です。」

「法律で決まっています。」

「これは会社のきまりです。」

まさしく水戸黄門の印籠である。

これに逆らうには進退を決めなければならない。

 

27:ゲゲゲの女房

 

NHKの「ゲゲゲの女房」を見た。

苦労の生活が長かった。

これほどかと思うほど長かった。

売れたあとからは視聴しなかった。

私は永遠に苦労の生活だ。

 

28:花子とアン

 

NHKの「花子とアン」を見た。

おもさうしを英訳している時だった。

この番組を見てから電車に乗った。

電車の中でもおもろさうしだった。

花子は立派な翻訳家になった。

 

29:個性と平等

 

個性と平等とは両立しない。

現代の学校はたいへんな綱渡りだ。

先生でさえ大変なのに生徒はもっと大変だ。

頭がおかしくならないのが不思議だ。

この矛盾を解決する方法は一つしかない。

どちらかを切り捨てることだ。

それが一番簡単であることを知るべきだ。

 

30:明治神宮

 

明治神宮に参拝しようとした。

入り口で警備員に注意された。

短パンだったのだ。

やむなく引き返した。

参拝にはそれなりの身なりと

マナーが必要なのだ。

 

31:能舞台

 

金春座の能を見た。

ほかの演芸とは違っていた。

演芸はリラックスするものだ。

能はそうではない。

緊張の連続だ。

舞台の上の人もみんな緊張していた。

演芸がこれほど緊張していいのか。

それが能である。

 

32:白川静

 

白川静は漢字の学者である。

古代甲骨文字の研究家だ。

甲骨文字を一つづつ丁寧に写し取った。

その数は膨大である。

地道な作業の果てに彼の学問がある。

漢字は手で書かなければ駄目だ。

何度も書くことによって自分のものとなる。

めんどくさい努力なしに大きな成果はない。

努力せずに習得する方法を追い求めている。

方法ばかりを探していると無為な人生となる。

 

33:小西甚一

 

小西甚一は国文学者だ。

高校時代彼の参考書で古文を勉強した。

私が古文に興味を持つきっかけとなった。

文章がおもろしろかった。

彼は中国語とフランス語も理解できる。

あらゆる分野に博学であった。

彼は私のあこがれであり続けた。

 

34:前畑秀子

 

前畑秀子は日本人女性初の

オリンピック金メダルリストだ。

200メートル平泳ぎであった。

松川小学校で彼女の特別授業を受けた。

プールで直接指導を受けた。

私の時間はほんのわずかであった。

たとえわずかでも金メダリストに指導された。

それは一生の自信となった。

私は今も平泳ぎが得意だ。

 

35:小学校3年の担任

 

小学校3年の担任は女の先生だった。

とてもやさしい良い先生だった。

字がきれいだとほめられた。

途中で学校を辞めた。

理由はわからない。

突然であった。

あいさつも何もなかった。

誰も行く先がわからなかった。

あの先生はその後どうなったのか。

いまも時々理由を想像して思い出す。

 

36:広末涼子のお母さん

 

「若い時にはこれしかないと思ってしまう。

どうしてもこれだと思ってしまう。

これ以外の道は考えられないと思ってしまう。

しかしあとから振り返るとそうではない。

ほかにいくらでも道はあったのだ。

扉はいくつもあったのだ。

ひとつだけだと思い込んでいたのだ。

それに気づかされる。」

広末涼子のお母さんの言葉だ。

 

37:新古今和歌集と京都

 

新古今和歌集を読むと京都を思い出す。

京都を思い出さずに新古今和歌集は読めない。

新古今の作者はほとんどすべてが上流貴族であった。

京都以外に出ることがなかった。

京都だけで一生をすごした。

彼らが見た風景は京都だけである。

想像した風景も京都の景色を越えることはない。

新古今和歌集の風景は京都なのである。

京都を見たことのない人は新古今和歌集の

風景をどのように想像しているのだろう。

 

38:源氏物語と京都

 

源氏物語のむずかしさはその背景にある。

背景は京都である。

京都を知らずに源氏物語はむずかしい。

京都に住んでみてそう思った。

現代の今でも京都は源氏物語の世界である。

 

39:夢は白黒で見る

 

私の見る夢は白黒だ。

カラーで夢を見たことがない。

現代人には考えられないことだ。

原因は子供の時見たテレビの影響らしい。

夢だけではない。

過去を思い出す時もそうだ。

昔の時代を想像する時がそうだ。

カラーでは想像がむずかしい。

どうしても白黒になる。

白黒映画に愛着がある。

白黒は別の世界だ。

私には白黒とカラーの両方の世界がある。

 

40:新しいことへの挑戦

 

新しいことへの挑戦はめんどくさい。

できるなら避けて通りたい。

だからみんな避けて通っている。

いちばん楽でしあわせな生き方は何か。

毎日同じことをすることだ。

だからしあわせな人は多い。

新しいことをしたあとはしあわせだ。

するまでとしている時は苦痛だ。

特に取り掛かるまでが大変だ。

だからしたあとのしあわせより

何もしないしあわせのほうを選ぶ。

 

41:恩納嶽(蔡温)

 

一片高峰尽是松

吾将此地訪仙蹤

雲深祇怕迷前路

却使院郎笑蔡邕

 

All over the high mountain is whole pine trees.

I come here to seek for the trace of the no-world.

I almost lose my way in the deep-clouded mountain.

Reversely the officials make the hermit ashamed.        *the hermit is Saiyu

   

 

42:蛍の光

 

蛍(じいなあ)ぬ光(ふぃちゃい)窓(あかい)ぬ雪(ゆち)

書物(しゅむち)読(ゆ)む月日(ちちふぃ)重(かさ)び重(かさ)び

何時(いち)がすら年(とぅし)ん杉(しじ)ぬ戸(はしる)

開(あ)きてぃ今日(ちゅう)ぬ朝(あさ)別(わか)りてぃ行(い)ちゅん

 

43:Apple:リンゴ

 

リンゴは西洋ではふつうの果物だ。

アップルパイはふつうのパイだ。

日本にはいつ伝来したのだろう。

それほど安い果物ではない。

電車で軽井沢に行った。

電車から見える長野盆地は真っ平らだった。

電車の窓から人家が見えた。

何かの果物の木が立っていた。

リンゴの木だった。

長野では普通の家にリンゴの木があるのだ。

うらやしいと思った。

沖縄には普通の家にシークァーサーの木がある。

 

44:独学の良いところ

 

独学には長所がある。

自分の好きなことが勉強できる。

大学に行って先生に教わると

嫌々やらされることがある。

強制されることがある。

いつのまにか進路が決められる。

それが自分に合っていたのか

あとから後悔することがある。

自分の好きなことをやった人は

その選択には後悔しない。

達成できなかったことが後悔だ。

 

45:なちかさん

 

「なちかさん」は「悲しい」という意味だ。

共通語の「なつかしい」とは違う。

「なつかしい」はいい思い出のことだ。

「なちさかん」は悲しい思い出だ。

沖縄の人の思い出は悲しいことばかりだ。

 

46:まあすん

 

「まあすん」は「死ぬ」という意味だ。

「回すん」ではなく「儘すん」だろう。

自分の自由になるという意味だろう。

生きている時は自分の思い通りにはならない。

死んで初めて自分の「儘(まま)」になる。

 

47:犬も歩けば棒に当たる

 

このことわざはどういう意味だろう。

いいことがあるという意味か。

わざわいがあるという意味か。

両方とも正しいのだ。

全く逆の二つの意味を持っている。

めずらしいことわざだ。

棒はいいものなのか悪いものなのか。

その解釈の違いである。

聞いた人はその場でどう解釈するのだろう。

 

48:情けは人の為ならず

 

情けは人の為ならず

自分の為である。

というのがもともとの意味だ。

「情けは人の為にならない」

と解釈する人が多い。

正しい解釈なのだ。

情けは人の為にならないのである。

そういう時代であり世の中なのだ。

 

 

49:めいとおい

 

弟の家に行った。

わざわざおいとめいがあいさつに来た。

私は話すことができなかった。

なんでもいいから話せばいいのだ。

それができなかった。

自閉症なのだ。

年をとるとだんだんと

健常者ではなく自閉症者に近づく。

 

50:目的と手段

 

目的が正しければどのような手段も正しい。

そう思っているひとが多い。

手段自体がどうかを考える人がいない。

目的が正しくなかった場合その手段はどうなるのか。

当然その手段は全面的に否定される。

その危機に直面した場合人はどうすればいいのか。

目的が間違っていたと認めればいいのである。

これが非常にむずかしい。

だからますますあらゆる手段を使おうとする。