表紙          10



ひとりだけの詩:8

 

1:汀間の綱引き

 

小学校一年のとき汀間の綱引きに参加した。

3分ほどで勝負がついた。

私が引いた方が負けだった。

あっけなかった。

準備には相当な時間がかかった。

たくさんの人がかりだされた。

勝敗に1時間以上かかる綱引きもある。

長時間のすえ勝負が決まらず

引き分けとなる場合もある。

勝負はイメージ通りにはいかない。

負けた勝負はあっさりとしている。

あとに残るのは

さびしさとせつなさとむなしさである。

 

2:書の時代考証

 

テレビの時代劇に出てくる手紙などの文書を見る。

楷書か行書で書かれている。

視聴者がなんとか読めるように書いてある。

当時は御家流という草書が主流である。

あのような字を書く人は江戸時代にはいない。

NHKは時として当時の字をなんとかまねている。

それは江戸時代をまねた現代の字である。

書の時代考証はむずかしい。

 

3:正倉院展

 

奈良の正倉院展に二度行ったことがある。

教科書に出てくるような御物はなかったが

すべてが名品であった。

手入れが行き届いている。

1300年前のものとはとても思えない。

時間がすっぽりと抜けてしまっている。

毎年何点かを出品するらしい。

全部出品されると何年かかかるだろう。

正倉院には東倉と西倉があったそうだ。

西倉は平家によって焼かれてしまった。

西倉にあった御物を想像すると

私の頭はくらくらとする。

 

4:県立北部病院

 

県立北部病院の駐車場はいつ行っても満杯だ。

患者なのか付き添いなのか見舞客なのか。

とにかくいっぱいだ。

尿管結石で夜も寝られず北部病院に行った。

予約制でどのくらい待つか分からないと言われた。

別の病院を紹介された。

別の病院はほとんど待つことなく診断も早かった。

薬をもらって飲むと3日ほどで結石がとれた。

いつ結石がとれたのか自分でもわからなかった。

小学生のころスクガラスが喉にひっかかった。

夜中に県立中部病院に行った。

二時間以上待たされた。

尿管結石で夜も寝られず七転八倒する患者。

スクガラスが喉に詰まった小学生。

それ以上の患者が大勢いるということだ。

県立病院というところはおそろしい。

 

5:水曜郷土劇場

 

OTVの「水曜郷土劇場」では沖縄芝居をやっていた。

祖母といっしょによく見た。

あの琉球語は首里言葉でもなく那覇言葉でもない。

誰でもが聞き取れるようないわゆる琉球語の共通語である。

真喜志康忠が好きであった。

水曜郷土劇場の沖縄芝居の琉球語は私にとっては

もっともスタンダードな琉球語である。

 

6:新明解国語辞典

 

新明解国語辞典の語釈はすばらしい。

的確・適切読んでいてすがすがしい。

どの語釈を読んでも全てが詩的である。

新明解国語辞典はことばの詩集である。

 

7:自転車事故

 

京都伏見の歩道を夜中に自転車で走っていた。

雨が降っていた。

こんな時間に自転車は通らないだろうと思った。

カーブをスピードを落とさずに曲がった。

同じように思っている人がいた。

カーブをスピードを落とさずに曲がって来た。

とっさに自転車の向きを変えた。

間一髪であった。

なんともなかった。

若くて美人過ぎる女の子であった。

もしぶつかって顔に怪我でもさせたらと。

全身みぶるいがした。

それからは自転車のスピードはゆったりと。

カーブでは必ず一時停止すること。

ずっと守り続けている。

 

8:学研の百科事典

 

小学校6年に叔父からかなりの小遣いをもらった。

学研の百科事典全1巻を買った。

友達もなく一人で家にいるの好きだった。

最初から最後まで読んだ。

二度繰り返して読んだ。

私の独学の原点であった。

あの百科事典がなければ私の人生は変わっていた。

 

9:叔父の娘

 

いとこと遊んでいるときにけがをさせてしまった。

肩の骨が抜けてしまった。

それほど痛そうではなかったが驚いた。

どのように言い訳しようかと考えた。

いとこがおじさんとおばさんに言った。

「私が悪かったの。」

私は感動した。

「いや私が悪かった。」とふつうは言うべきだ。

私は言わなかった。

いとこの言葉に甘えた。

私は卑怯だった。

いとこは今も変わらずやさしすぎる。

本人はそれを自覚していない。

やさしくないふりをする。

やさしい人は生きづらい。

彼女は実際に今も生きづらいようである。

 

10:仲宗根政善

 

仲宗根政善は琉球大学名誉教授であった。

東大の国文科を卒業した。

沖縄今帰仁方言辞典を編集した。

彼のお母さんのことで興味深いことがある。

彼女は生涯一度も今帰仁村から出たことがなかった。

いちどは名護の町へ行ってみたいと言っていた。

生涯を今帰仁村だけで過ごしたのだ。

一生涯をただ一つの村だけで暮らす。

琉球王国時代の人たちはそれがむしろ普通だったのだ。

江戸時代もそういう人たちが多数であった。

現代は交通があまりにも発達し過ぎた。

今の人たちは世界中あちこちへと行き過ぎなのだ。

 

11:宇宙旅行

 

宇宙とは地球の大気圏外のことだ。

大気圏の外へ出れば宇宙旅行なのだ。

実にみみっちい貧相な宇宙旅行である。

「ちょっと地球の外へ旅」ぐらいでいい。

大圏外くらいで宇宙旅行だと思いたいのだ。

なぜか宇宙旅行ということばが使いたいのだ。

 

12:なぜ外国語の習得はむずかしいのか

 

長い人類の歴史の中で外国語の習得が

必要になったのはつい最近のことだ。

それまでは一つの言葉で十分であった。

人間の脳はもともと一つの言語だけを

習得するような構造になっている。

一つの言語を習得すると脳は閉ざされてしまう。

他の言語は必要ないからである。

外国語を習得するにはその閉ざされた脳を

ふたたび開かなければならない。

外国語の習得のむずかしさはそこにある。

ひとつ用の脳に二つ三つ押し込むのは

そもそも無理なことなのだ。

 

13:アメリカの名画を字幕なしで見る

 

私はアメリカ人ではない。

アメリカに行ったこともない。

しかしアメリカの映画を見るとなつかしい。

このなつかしさはいったいどこからくるのか。

沖縄がアメリカの統治下にあったからか。

それもわずかな原因だろう。

大きな原因は英語習得の過程にある。

英語の単語を学んでいた時の情景がよみがえるのだ。

単語を学んだ時の情景と映画の情景がかさなるのだ。

そのかさなったときの瞬間になつかしさがあるのだ。

 

14:パソコンと首の痛み

 

18日間休みなしで一日4時間半ワープロに向かった。

業者が来る前に出来るだけデータを取り込もうと思ったのだ。

肩がこり首が痛くて動かずに丸一日寝ていた。

これからは適宜に休んで一日の時間もセーブすることにした。

 

15:牧野富太郎

 

牧野富太郎は植物学者である。

小学校を中退した。

私の憶測では自閉症である。

東大の先生になった。

牧野日本植物図鑑を編集した。

1500種以上に命名した。

新種の笹に奥さんの名前をつけた。

亡くなった奥さんに俳句を作った。

「世の中のあらん限りやスエコザサ」。

 

16:金田一京助

 

金田一京助は言語学者である。

アイヌ語を研究した。

アイヌ語は誰も研究していなかった。

北海道へ行った。

アイヌ語がまったくわからなかった。

「これは何ですか」というアイヌ語が知りたかった。

紙にわけのわからない絵を描いてアイヌ人に見せた。

アイヌ人は「・・・・・・」と言った。

「これは何ですか」というアイヌ語だろうと思った。

あるものを見せて「・・・・・・」と言った。

アイヌ人はすぐに答えてくれた。

この言葉さえ知っていればいくらでも語彙がふやせる。

こうしてアイヌ語の研究が始まった。

 

17:祖父の死

 

高校二年の時に祖父が死んだ。

農薬を飲んでの自殺であった。

病院の祖父のもとへ言った。

医者はもう助からないと言った。

待合室で中公文庫の論語を読んでいた。

祖父が死ぬのを待っていた。

祖父の死を前にして私は

冷静であり非情であり無感情であった。

川端康成の「十六歳の日記」と同じだった。

川端は死んだ人ばかりではなく

生きている人も同じ目で見ていた。

私もまた同じである。

 

18:母のいとこ

 

小学校6年の担任は母のいとこであった。

三島由紀夫の割腹自殺はリアルタイムであった。

三島の話をいろいろとしてくれた。

漱石の話もしてくれた。

琉球語のことわざを生徒にひとつずつ採集させた。

みんなの前で意味を解説させた。

夏休みの宿題はなかった。

最後は校長先生になった。

健児の塔の生き残りであった。

晩年はひめゆりの塔などで講演をした。

名前は長田勝男である。

 

19:一般参賀

 

20代の正月に皇居の一般参賀に参列した。

昭和天皇と皇太子と浩宮様を見た。

昭和天皇・平成天皇・今上天皇を同時に見たことになる。

皇室に興味のない人にはどうでもいいことである。

遠くからでも三天皇をみることができた。

この世に生まれて来た至上のしあわせである。

三天皇は歴史に残る名君に間違いない。

 

20:愛子さま

 

愛子さまの成人の御姿を拝見した。

ティアラは黒田清子さまよりの借り物らしい。

美しい笑顔だった。

聡明さが体中からにじみでている。

よこしまな心が微塵も感じられない。

自分よりも常に国民を上においている。

個人的には天皇になってほしい。

結婚するまで世界の

トッププリンセスであり続けるだろう。

 

21:Old age is unexpected

 

Old age comes to you unexpectedly.

All things change for your eyes.

Nothing changes except you.

You also do not change.

You are you for ever.

 

22:清明の時節雨紛紛(杜牧)

 

清明(しーみー)に雨(あみ)ぬ落(う)てぃ而居(とお)たん。

道(みち)ぬ旅人(たびんちゅ)が肝(ちむ)迷(まゆ)い為居(そお)たん。

酒屋(さかや)あ何処(まあ)やがやあんでぃ問(とぅ)たん。

童(わらべ)え彼方(かあま)ぬ村(しま)指(さ)ち笑(わら)たん。

 

23:曾根崎心中

 

文楽の曾根崎心中を見た。

人形の所作が人間以上に美しい。

動作が人間よりも人間的である。

特に印象に残るシーンは道行である。

徳兵衛が道行の途中こけてしまった。

あわててすりよるお初。

お初は徳兵衛の裾を両手ではらった。

人間にはできない美しさであった。

これから死にに行く二人である。

裾の汚れはどうでもいいと思う。

人間は死ぬ直前まで必死に

人間らしくありたいのだ。

 

24:国会議員の交通費

 

山尾志桜里が私用で国鉄の議員パスを使った。

もと検察官としての良識はどうしたのか。

自分は特別だと思ってしまう。

このくらいはいいだろうと思ってしまう。

イスラエルの大臣の話である。

彼は切手を大量に購入している。

公用車をどうしても私用で使う時がある。

ガソリン代の分だけ切手を破ってしまう。

このような政治家は現在の日本にはいない。

 

25:グーサンウゥージ

 

高校生の時グーサンウゥージ用のさとうきびを

大家さんの畑からかってに拝借してきた。

祖母にひどくおこられた。

トートーメーに供えるものはお金を出して

買ってこなければだめだ。

 

26:BUSU

 

私の一番好きな映画は「BUSU]である。

思い出しては録画をたまに見る。

市川準監督・富田靖子主演である。

絵があまりにも美しすぎる。

どのシーンを取り出しても美しい。

映画はストーリーよりも映像である。

市川準は使うフィルムの量がすごい。

通常の映画の10倍はあるそうだ。

テストの段階でカメラを回すこともある。

「BUSU]は私が住んでいた東京だ。

どんな一瞬のシーンでもなつかしい。

 

27:詩人の生活

 

詩人の作品は生活である。

生活こそが彼の作品である。

 

28:深夜のバイト

 

夜の6時から翌朝の6時までバイトをした。

昼夜が逆転した。

発達障害者には適さなかったのだろう。

うつ状態になった。

ご飯を作るのも食べるのもおっくうであった。

風呂に入るのがいやだった。

掃除はしなかった。

部屋中がゴミの置き場になった。

酒ばかり飲んでいた。

半年後にやめた。

 

29:戦国時代の諜報員

 

いくさの報告は手前味噌である。

自分に有利なようにしか報告しない。

何もしなかったのに自分の手柄のように話す。

自分が失敗したことなどは絶対に報告しない。

諜報員が必要なのだ。

確かに本人よりは正確だ。

しかし諜報員にも諜報員が必要だ。

諜報員も自分の非は認めない。

自分の都合のいいようにしか報告しない。

集団によるいじめ・いやがらせも同じである。

不正確な報告による集団的行為の末路は?

 

30:女性への手紙

 

私は手紙を書くのが好きだ。

ずっと好きだった。

手紙にかぎらず文章を書くのが好きだ。

言葉を紙の上にのせていくのが好きだ。

私にはふつうのことだ。

ほかの人にはそうではないらしい。

手紙はたいそうなものになった。

何か特別のものらしい。

特に女性への手紙はたいへんだ。

ただちにラブレターと勘違いされてしまう。

 

31:浅田真央

 

私は浅田真央を尊敬する。

常に自分の演技を高めようと努力する。

点数とか順位よりも大切なものがある。

失敗をおそれない。

最高の自己を実現したいのだ。

結果ではない。

自己への挑戦なのだ。

 

32:結婚式の司会

 

いとこの結婚式の司会をした。

いまでも思い出すたびに後悔する。

結婚式の指輪の披露はしない。

そう打ち合わせてあった。

係りの人が指輪の披露を言って来た。

私は突然変更になったかと思った。

係りの人の間違いであった。

指輪の披露は行なわれた。

会場との打ち合わせは済んでいると思った。

担当の人全員に言って欲しかった。

結婚式はおおよそ流れが決まっている。

いつもと違ったことをするのはむずかしい。

ちゃんと係りに伝えておくべきだった。

テレビドラマで結婚式のシーンがうつる。

いつもあのときのことがよみがえる。

 

33:星の砂

 

星の砂は砂ではない。

有孔虫の化石だ。

生きている星の砂もある。

星はどうしてあの形なのか。

実際の星はあんなではない。

だれもが星はあの形だと思っている。

最初にあの形を思いついたのは誰か。

古代ギリシャの壁画がすでにあの形だ。

すべては星の砂と同じだ。

現実のものとは違って見えている。

 

34:遠藤周作の「沈黙」

 

神はつねに沈黙している。

沈黙しながら存在している。

沈黙するものをどうして信じられるのか。

存在したいのであれば沈黙すべきではない。

沈黙すべきでない時になぜ沈黙するのか。

神は存在したいのであれば沈黙してはいけない。

 

35:ひまわり

 

ひまわりは太陽の動きに合わせて動く。

迷信である。

名前からの連想である。

ほんとうかどうか確かめた人がいた。

植物学者の牧野富太郎である。

まる一日ひまわりを観察していたらしい。

立派な学者である。

 

36:オシロイバナ

 

オシロイバナを英語で「four o’clock」という。

実際に夕方4時頃に咲くらしい。

もちろん人間ほど時間厳守ではない。

夕方に咲くというところが詩的である。

花は朝咲いて夕方にしぼんでほしい。

人間は勝手にそう思っている。

人間の思いどおりにはならない。

実に立派な花である。

 

37:ハマナス

 

知床旅情に出る花だ。

実がナスに似ているから。

江戸時代の学者の説だ。

バラ科バラ属である。

実の味がナシに似ているらしい。

東北弁では「ナシ」を「ナス」と発音する。

「ハマナシ」がなまったものらしい。

牧野富太郎の説だ。

 

38:良寛の漢詩

 

良寛の漢詩はおもしろい。

よく理解できる。

私は仏教も一通りは勉強した。

中国の漢詩は背景・歴史がむずかしい。

良寛の漢詩は日本的である。

漢字ばかりでも日本的である。

身近であり風景も目に浮かぶ。

日本人の漢詩はおもしろい。

 

39:深夜の読書

 

深夜4時間読書をしている。

もちろん休憩も入れる。

しずかで頭にはいりやすい。

集中することができる。

深夜の読書はいい。

ときどき眠くなる。

それがまた快感である。

 

40:乃木希典

 

乃木希典は最後の武士だと言われる。

その通りだと思う。

彼の生涯はつねに死とともにあった。

西南戦争で政府軍の軍旗を奪われた。

その時自決しようと思ったが出来なかった。

それ以後ずっと死ぬチャンスをさがした。

チャンスはなかなか来なかった。

旅順攻略で多数の兵士を失った。

自分の子供を二人も失った。

戦後いよいよチャンスが来ると思った。

明治天皇は知っていた

「死んではならない。」と言われた。

チャンスをのがした。

明治天皇が崩御した。

とうとうチャンスが来た。

武士はつねに死とともに生きた。

桃山陵の下の乃木神社に三度参拝した。

六本木の乃木神社へは行ったことがない。

 

41:程摶萬

 

 春日登山

春山一望景無窮

海色蒼蒼万里空

飛鳥数声雲幾点

何時収入画図中

 

Tei Semban

 

 Mountain climbing in the spring (translation)

 

The whole spring mountain is infinite.

Over the sea is ever green and empty.

Flying birds are singing in some clouds.

When can I paint this view in the pretty?

 

42:雨ニモマケズ(宮沢賢治)

 

雨(あみ)んかいん負(ま)きらん

風(かじ)んかいん負(ま)きらん

雪(ゆち)にん夏(なち)ぬ暑(あち)さにん負(ま)きらん

頑丈(がんじゅう)胴(どぅう)持(む)ち

欲(ゆく)や無(ねえ)らん

通(とぅう)ち怒(わじ)らん

何時(いちん)静(しじ)かに笑而居(わらとお)ん

一日(ちゅふぃ)に玄米(ぬうめえ)四合(ゆんごお)とぅ

味噌(みす)とぅ少(いぃふぃ)ぬ青菜(おおふぁ)喰(か)でぃ

諸(むる)ぬ事(くとぅ)

自分(どぅう)や勘定(かんじょお)んかい入(い)りらん如(ぐとぅ)

良(ゆ)う見(んん)ち聞(ち)ち分(わ)かてぃ

彼(あ)んし忘(わし)らん

野原(もお)ぬ松(まあち)ぬ陰(かあぎ)ぬ

細(くう)さる茅葺(かやぶ)ち家小(やあぐぁあ)んかい居(うぅ)てぃ

東(あがり)んかい病(やんめ)え童(わらび)ぬ居(うぅ)れえ

行(い)んぢ看病(かんびょお)為(し)

西(いり)んかい疲(くたん)でぃ而居(とお)る母(あんまあ)ぬ居(うぅ)れえ

行(い)んぢ其(う)ぬ稲(ぃんに)ぬ束(たば)い担(かた)みてぃ

南(ふぇえ)んかい儘(まあ)し擬(ぎ)さある人(っちゅ)ぬ居(うぅ)れえ

行(い)んぢ恐(しか)まんてぃん済(し)むんでぃ言(い)ち

北(にし)んかい争合(おおえ)え訴訟(くうじ)ぬ有(あ)れえ

面白(うむ)こお無(ねえ)らん事(ぐとぅ)止(や)みれんでぃ言(い)ち

胴一人(どぅちゅい)ぬ時(とぅちぇ)え涙(なだ)落(う)とぅち

寒(ふぃい)さる夏(なち)や彼処(あま)歩(あっ)ち此処(くま)歩(あっ)ち

諸(むる)んかい不要(ふゆう)なあでぃ言(い)らってぃ

褒(ふ)みらりん為(さ)らん

誹(すし)らりん為(さ)らん

其(う)ぬ様(よお)な人(っちゅ)に

吾(わん)や成(な)い欲(ぶ)さん

 

※二十四行目は多くの本で「ヒデリノトキハ」となっている。しかし、賢治の手帳を見ると「ヒドリノトキハ」と読める。岩手弁では「ヒトリ」を「ヒドリ」と発音する。したがって、「ヒトリノトキハナミダヲナガシ」が正しいのではないかと思う。(これは私の説ではない。)一人の時に涙を流す気持ちが私には非常によく理解できる。私の詩集の名前はこの詩が由来である。

 

43:サムライハイスクール

 

三浦春馬のサムライはかっこよかった。

平凡な高校生もかっこよかった。

どちらもかっこよかった。

三浦春馬にサムライがのりうつる。

二人の人間が一人の人間の中にいる。

みんな同じだ。

会社の自分とおうちの自分は違う。

会社にいる時はみんなサムライだ。

そのかっこよさに気づいていない。

おうちにいる時もかっこいいのだ。

それに気づいていない。

 

44:英詩の翻訳

 

詩の翻訳は詩である。

英詩の翻訳は原文よりもおもしろくない。

あたりまえである。

他の外国語の詩の翻訳よりもおもしろくない。

ドイツ文学者の詩人がいる。

フランス文学者の詩人がいる。

英文学者の詩人は聞いたことがない。

文語訳は無理がある。

七五調は無理がある。

現代人には現代語訳がよい。

英文学者は文法にこだわる。

誤訳を指摘されるのがこわい。

詩の内容よりもプライドが大切だ。

英詩の翻訳はおもしろくない。

プライドよりも詩の内容が大切だ。

作者のこころを伝えなければだめだ。

 

45:塾の講師

 

塾の講師をやっていた。

自分が自閉症とはまだ知らなかった。

生徒にはほんとうに迷惑をかけたと思う。

生徒の方が私よりもはるかに立派であった。

 

46:引っ越しと言語感覚

 

何度も引っ越した。

八つの都府県を経験した。

関西から関東にまたがっていた。

いろいろな「方言」を学んだ。

東京に行ってはじめて自分のなまりに気づいた。

東京弁を勉強した。

彼らが話している通りに話そうとした。

京都弁・大阪弁・神戸弁に接した。

イントネーションの大切さを学んだ。

方言を学ぶことは外国語を学ぶのと同じだ。

方言を学ぶことは言語学を学ぶことだ。

 

47:沖縄のなまり

 

大坂人は東京弁を話そうとしない。

大阪弁にほこりがある。

大阪弁とは何か。

イントネーションである。

新聞を大坂のイントネーションで読めば

それは間違いなく大阪弁である。

イントネーションこそが方言の本質である。

沖縄人は沖縄のなまりにほこりを持ってよい。

 

48:神戸の北野神社

 

北野坂を登りきった所に北野神社がある。

北野坂はけっこうな坂だ。

北野神社のすぐ下のアパートに住んでいた。

仕事帰りの北野坂はきつかった。

坂の代償に神戸の美しい景色がある。

姉と弟と姪の四人で北野神社に行った。

坂から風見鶏を見上げて弟が嘆息した。

北野神社で姪の合格祈願のお守りを買った。

たいていの沖縄人は菅原道真を知らない。

神戸で天神様を知らない人はいないだろう。

北野神社からの神戸の景色は最高すぎる。

私にはなんでもない葉をとりあげて

これが紅葉かと弟が言った。

 

49:渋谷

 

東京で浅草の次に好きな町は渋谷だった。

渋谷は文字通り谷の町である。

地下鉄の渋谷駅は地上三階にある。

渋谷までは地下を通る。

渋谷を過ぎると地下に入る。

ハチ公前で3回ほど待ち合わせをした。

人が多くて待ち合わせにならなかった。

スクランブル交差点がすごい。

私のような発達障害者でも人にぶつからない。

日本人の社会性はおそろしい。

パルコと東急ハンズが好きだった。

パルコの中の映画館には何度も通った。

NHKと代々木公園が近い。

当時はまだ竹の子族が全盛だった。

いなか者丸出しで見ていた。

フリーマーケットもおもしろかった。

丹下健三の代々木競技場を見ると

せつなさとむなしさがこみ上げて来た。

 

50:詩人

 

私の最終的な夢は詩人であった。

それが実現した。

詩人とは自分の詩を公表した人のことだ。

私はネットで自分の詩を公表した。

読者が何名いるかは問題ではない。

公表すれば詩人なのである。

世間の評価はどうでもいい。

そもそも私は自閉症で引きこもっている。

詩人は社会を批判する者だ。

社会からどのように批判されてもよい。

社会からの批評はどうでもいい。