表紙          10



ひとりだけの詩:3

 

1:牧志朝忠

 

牧志朝忠はペリーが沖縄に来たときの通訳である。

英語のほかに中国語とフランス語ができた。

ベッテルハイムにも英語を教わった。

薩摩藩士に英語を教授していた。

「ペリー遠征記」に来航時の通訳の模様がある。

あの時代にこれほど語学力のある人がいたのだ。

残念ながら「牧志・恩河事件」によって投獄された。

薩摩派と中国派の政争に巻き込まれた。

自白を強要される拷問を受けた。

薩摩に護送される途中の海で投身自殺した。

政治は偉大な人材を簡単に消し去ってしまう。

 

2:ベッテルハイム

 

ベッテルハイムは沖縄へ来たイギリスの宣教師であった。

ハンガリー王国出身のユダヤ人であった。

イギリス国教会に改宗しイギリス人と結婚した。

マジャール語・ドイツ語・フランス語・ヘブライ語・英語

そして琉球語が堪能な語学の天才であった。

琉球に8年間滞在して聖書を琉球語に翻訳した。

琉球に来たのは難破したイギリス人に対して

親切に対応した琉球人のやさしさに心を打たれたからだ。

これほどの語学の天才が当時のヨーロッパからこの沖縄に

はるばる来たことを今の沖縄人は知っているのだろうか。

 

3:絶望

 

絶望というものは存在しない。

どのような状況でも希望はある。

ただそれが見つけられないだけだ。

見つけることができないことを

絶望と呼んでいるのだ。

自分が見つけることができないものは

この世界には存在しないということなのか。

見つけられないものは世界に

いくらでも存在している。

希望こそがそれなのだ。

 

4:キーツ

 

イギリスロマン派の詩人である。

医師の試験に合格したが

結局生涯を文学にささげた。

肺結核により25歳で亡くなった。

彼の想像力と表現力はすさまじい。

彼にとってはこの世界のすべてが詩であった。

この世界がすべて詩であることを彼に教わった。

 

5:哲学の道

 

京都に「哲学の道」というのがある。

そばを小川が走っているが

べつだんただの小道である。

哲学者の西田幾多郎がよく散歩した道だ。

だから「哲学の道」らしい。

西田はここを散歩しながら

哲学をしていたわけではないだろう。

ふつうに散歩していただけであろう。

むしろ哲学のことは忘れていただろう。

「哲学を忘れさせる道」だったのだろう。

観光客はここが西田の哲学が生まれた

道だと思いたいらしい。

そのように思い込みたいらしい。

哲学は自分の中にあることを

観光客は知らない。

 

6:事大主義

 

「事」は「つかえる」という意味である。

「以小事大」は「孟子」が出典である。

小さい国は大きな国につかえるべきだ。

東アジアの多くの国々に見られる考え方だ。

沖縄人は事大主義である。

中国につかえ薩摩につかえ日本につかえ

アメリカにつかえそしてまた日本につかえる。

祖国復帰は結局アメリカにつかえるか

日本につかえるかの選択であった。

いつになったら自分につかえるのか。

つかえるべき自分がないのだ。

自分とは何か。

首里城でもなくその他の城跡でもなく

世界文化遺産でもなく世界自然遺産でもなく

沖縄の文化と文学と歴史と言語である。

 

7:程順則

 

程順則は偉大な学者であった。

程順則の漢詩はいい。

彼の父程泰祚は福州港外で海賊に襲われ負傷し

中国滞在中に病死し墓が作られた。

程順則は北京からの帰途父の墓を訪れた。

その父をとむらう漢詩が胸をうつ。

彼は父の無念を生涯の支えとした。

彼には四人の男子がいたがみんな他界した。

父と子にかわって後世に何か残したかったのだ。

そして実際に多くの業績を残した。

 

8:小津安二郎

 

小津安二郎の映画は日常のふつうの生活風景をえがいた。

いまのアメリカのハリウッド映画にはそれが全くない。

アメリカのテレビドラマも同様である。

現実離れした目をおおうような想像と幻想の世界である。

私は最近のアメリカ映画は全く見ない。

現実の日常生活のほうが好きなのだ。

アメリカ人は映画は日常を忘れさせてくれるものだと

勝手に思い込んでいるようである。

もしかすると現実をあまり直視したくなく

そこから逃避したいだけなのかもしれない。

 

9:金閣寺

 

金閣寺(きんかくじぇ)え何故(ぬうんち)金(くがに)

使(ちか)らんねえ成(な)い侍(び)らんがやあ。

寺(てぃら)んでぃ言(い)しぇえ銭(じん)使(ちか)らん事(ぐとぅ)作(ちく)いしがどぅ真直(まっとおば)あ有(あ)い侍(び)らんがやあ。

昔(んかし)寺坊主(てぃらぼおじ)が火(ふぃい)付(ち)きてぃ諸(むる)燃(めえ)てぃ無(ねえ)ん成(な)たんでぃぬ事(くとぅ)有(や)い侍(びい)ん。

建(た)てぃ直(のお)さん事(ぐとぅ)其(う)ぬ儘(まま)置而居(うちょお)けえ

済(し)ま侍(びい)たる物(むん)。

 

10:琉歌

 

清(ちゅ)ら清(ぢゅ)らとぅ咲(さ)ちゅる

赤花(あかばな)どぅ有(や)しが

吾(わん)肝(ちむ)ぬ内(うち)や

未(な)だ明(あ)きらん

 

11:俳句

 

鉄砲ゆり黒の花瓶にそそりたつ

 

12:短歌

 

木の間より飛び立つすずめ夕焼けに姿は映えて空とひとつに

 

13:具志堅宗精

 

具志堅宗精はオリオンビールの創業者である。

高校を中退後大阪の造船所で働いた。

その後沖縄県の警察官になった。

あちこちの警察署長を経験した。

沖縄戦で警察署が米軍に占領されると

部下を投降させて自分は拳銃で自殺をはかった。

拳銃は不発であった。

沖縄にも武士道があった。

戦後宮古群島の知事になった。

公職をやめて赤マルソウを創業。

そしてオリオンビールを創業した。

営業努力がすさまじい。

現在でも沖縄県のシェアが一位である。

経歴の通り苦労の人である。

今のオリオンビールの社員は

具志堅宗精の苦労を知らない。

 

14:文法

 

中学一年の時雑誌の附録に英文法の冊子があった。

それを読んで感動した。

言葉というものにはこんなちゃんとした

きまりがあるのだと。

それから英文法の本をたくさん読んだ。

言葉に文法と言うきまりがあることに

感動する私は特別なのであろうか。

 

15:世界史

 

世界史というものは存在しない。

ただそれぞれの国の歴史があるだけだ。

世界の歴史をある一つの観点から見ることはできない。

世界があるひとつの思想・主義・理念・宗教によって

だんだん統一されて行くということはない。

ただばらばらに存在するだけだ。

世界がある一つの理想にむかって

統一されていくというのは幻想である。

 

16:食事

 

源氏物語・枕草子などを読んでいつも思うことがある。

彼らはいつも何を食べていたのであろう。

日頃の食事に関する記述がまったく見られないのだ。

服装に関してはどうでもいいほどのこだわりようである。

食事というのは文学にならないと思っていたのか。

あたりまえ過ぎて書くにあたいしないと思っていたのか。

書くにたえないほどのまずしい食事だったのか。

私は小中学校ころ毎日何を食べていたのか覚えていない。

その後の人生も同様である。

ほとんど全く覚えていないのである。

ついこのあいだ何を食べたのかもさだかではない。

人間は食事に関する記憶にあまり関心がないのかもしれない。

食事そのものには関心があるようだが

その記憶に関しては関心がないようである。

 

17:Hermann Hesse

 

I was reading a Hermann Hesse in a coffee house.

In the novel, the main character went out of the monastery.

I had studied for the university entrance examination.

I would study everything without going to the university.

Why had I dwelt on the empty matter for a long time?

I decided to quit to go to the university.

I ordered another round of coffee for free.

I got out of the coffee house with verity.

The out side of the house was so bright. 

I walked to my house lightly.

 

18:豪徳寺

 

豪徳寺は東京都世田谷区にある寺である。

駅名ともなっている。

幕末の大老井伊直弼の墓がある。

すぐ近くに彼が処刑した吉田松陰をまつった

松陰神社があるが偶然なのか皮肉である。

井伊直弼は吉田松陰を放免するつもりであったが

松陰みずから老中暗殺計画を暴露してしまった。

井伊直弼は偉大な政治家であった。

勅許を得ずに日米修好通商条約に調印した。

当時の世界情勢を考えると

日本だけ鎖国をいうのは考えられない。

懸命な決断であった。

他の幕閣であればずるずると引き伸ばすか

朝廷に責任をおしつけていたであろう。

条約調印だけでもノーベル平和賞級である。

井伊直弼は桜田門外の変で暗殺された。

事前に暗殺計画を察知していた。

家臣が警護の人数を増やすように進言した。

彼はこう言った。

「供回りの数は幕府の法で定められている。

幕府の大老が法をやぶるわけにはいかない。」

現代の政治家でこのような心掛けの人はいない。

旧暦三月三日にしてはめずらしい雪であった。

花のように散っていった。

日米安保闘争のちょうど100年前のことである。

 

 19:小林秀雄

 

高校の教科書に小林秀雄があった。

ひじょうにむずかしかった。

国語の先生もむずかしくて頭がいたいと言った。

小林秀雄は評論家を職業とした最初の人である。

中原中也の友達であるが中也の恋人を奪った。

部外者の私には言うことがない。

小林秀雄の講演のテープを聞いたことがある。

古今亭志ん生に声がよく似ている。

話し方まで似ている。

講演の時の話はわかりやすい。

なぜ小林秀雄の文章はむずかしいのか。

むずかしいことを簡単に説明することは

ひじょうに困難なことである。

小学生に微分積分をわかりやすく

説明するのはほとんど不可能に近い。

むずかしい内容を文章にすれば

むずかしい文章になるのである。

小林秀雄は文章がむずかしいのではなく

内容がむずかしいのである。

内容のむずかしさを文章のせいにしてはいけない。

小林秀雄の文章は引用文献が少ない。

ほとんど自分自身の言葉で書かれている。

「巧みに考えるとは巧みな言葉によって

考えるという事である。」

30代40代に小林秀雄を読んだがむずかしかった。

60代になって全集を古書で購入して読むと

年のせいなのかなかなか理解できる。

小林秀雄を理解するにはたくさんの本を読んで

多くの経験をするしかないようである。

 

20:あべのハルカス

 

姉にあべのハルカスの展望台に連れて行ってもらった。

あべのハルカスは現在日本一のビルらしい。

展望台からの景色にはさすがに圧倒された。

高い所からはるかかなたの景色を見ると

どうして人間は自分のむなしさを感じてしまうのか。

人間の存在は常にむなしいものである。

日ごろはそれを実感していない。

高いところから遠くを見るとそれを実感してしまうのだ。

ありがたいことではあるが

むなしさは常日頃実感すべきことである。

 

21:四天王寺

 

四天王寺は大坂の天王寺区にある寺である。

天王寺ともよばれ区名・駅名にもなっている。

「てんおうじ」ではなく「てんのうじ」である。

飛鳥時代の創建であったが戦災で消失した。

五重の塔は鉄筋コンクリートである。

建物を再建するときには再建する当時の

建築法を使うのが長い間の伝統であった。

現在は創建当時のままに再建しなければ

ならないかのような風潮になっている。

大阪城にはエレベーターがある。

大坂人は常に最先端を走っている。

飛鳥時代の四天王寺はすぐそばが海であった。

唐の遣いを乗せた船が近くを通った。

船からよく見えるように伽藍配置をすべて一直線にした。

四天王寺式伽藍配置である。

そこまでして中国に日本の国力をしめしたかったのだ。

現在近くにあべのハルカスがある。

あの高さは何かを誇示したいようである。

高さは変わっても人間の心は変わらない。

 

22:花見

 

胴一人(どぅうちゅい)し花見(はなみ)んかい行(い)ちゃ侍(び)たん。

花見弁当(はなみべんとお)とぅビール買(こお)てぃ行(い)ちゃ侍(び)たん。

桜(さくら)ぬ下(しちゃ)ぬ地(じい)んかい尻(ちび)乗(ぬ)してぃ

桜(さくら)ぬ花(はな)眺(なが)みてぃ居(うぅ)い侍(び)たん。

桜(さくら)ぬ花(はな)ぬ風(かじ)に吹(ふ)かりてぃ

落(う)てぃてぃ来(ちゃ)あ侍(び)たん。

落(う)てぃ而居(とお)る桜(さくら)あ

一杯(いっぺえ)清(ちゅ)らさい侍(びい)たん。

落(う)てぃてぃん清(ちゅ)らさる花(はな)あ

桜(さくら)許(びけ)える有(や)い侍(びい)る。

 

23:琉歌

 

朝顔(あさがう)ぬ花(はな)ぬ

柔(やわ)らさる如(ぐとぅ)に

我(わあ)肝(ちむ)ぬ内(うち)ん

撓(しな)てぃ給(たぼ)り

 

24:俳句

 

朝顔を照らす夕日にうらさびし

 

25:短歌

 

立て掛けしすだれをつたう朝顔の晴れ晴れしさをわれ一人見る

 

26:Library in Katsushika

 

I went to a library in Katsushika.

“Why are there a large number of books?

Why do I have to read a lot of books?

How many books did I read ever?

How many books can I read from now?”

I was always petty and empty in the library.

 

27:旅行のみやげ話

 

姉は旅行が趣味である。

みやげ話をするのも趣味である。

私は姉のみやげ話を聞くのが楽しかった。

ある日突然それがいやになった。

心の中の旅をすべきだと思った。

心の外の旅ばかりしていていいのか。

心の中の旅をこれから

見つけたほうがいいのでは。

と言おうと思ったが

ずっと沈黙したまま話を聞いていた。

 

28:アウンサンスーチー

 

アウンサンスーチーはノーベル平和賞受賞者である。

ビルマ独立の父アウンサン将軍の娘である。

大統領の上に位置する国家顧問であったが

軍事クーデターで解任され自宅軟禁中である。

海外の生活が長く自宅での軟禁も長かった。

日本に留学したが日本語がほとんど出来ない。

オクスフォード大学院の成績も不振であった。

格調のあるイギリス英語だと評判だがそれほどでもない。

英語の話し方に内容が見られない。

彼女自身に中身がないのである。

彼女からアウンサン将軍の娘であるということを

取り去った場合何も残らないのである。

得たものはすべてアウンサン将軍の娘だからだ。

国民はただアウンサン将軍の娘でありさえすれば

それでいいと思っている。

本人もまたそれで十分であると思っている。

 

29:U.S.J.

 

U.S.J.に9回ほど行った。

年間パスを利用した。

最初のころのパスは顔写真付きであった。

私のはセサミストリートが背景にあった。

今は顔が認証できる機械がある。

U.S.J.以外であのような機械を見たことがない。

文字通り顔パスである。

U.S.J.の中からはU.S.J.以外の建物・風景が

全く見られず別世界である。

それを意図して作ったのであろう。

アメリカあるいはハリウッドにいる気分だ。

外からの食べ物の持ち込みは禁止だ。

お家からの弁当を広げていては別世界にならない。

いつ行ってもどこにもゴミが落ちていない。

掃除をしている風景もほとんど見たことがない。

別世界を作るのはたいへんなことだ。

最初のころはアトラクションを見たが

あとはただひたすら歩いているだけだった。

歩いているだけで別世界にいることができた。

食べ物は伊藤ハムのターキーのこん棒であった。

ハイネケンをいっしょに飲んだ。

私は現在引きこもりの生活をしている。

月に四回ほど買い物と銀行にでかけるだけだ。

八畳半の部屋は別世界である。

私は別世界が好きなようだ。

 

30:あさがお市

 

20代のころ東京入谷のあさがお市に行った。

鉢植えの朝顔が五千円であった。

縁日のきわものは高い。

私には買えなかった。

買えなかった思い出がいまだに

心の片隅にあるのだろう。

部屋の中を見るとあさがおの絵のあるうちわと

朝顔がおさまった江戸風鈴が下がっている。

夏になると朝顔の絵が描きたくなり

朝顔の詩が書きたくなる。

 

31:京都のロケ地

 

朝早く京都の伏見を自転車で走っていると

テレビのロケがあった。

NHK朝のテレビ小説「カーネーション」の

尾野真千子であった。

伏見は昔ながらの酒蔵がたくさん残っていて

ロケ地としてよく利用される。

京都は映画・テレビのロケ地として有名である。

現在が設定であれば問題ないが

江戸・明治・大正時代となると困る。

映ってはいけないものが映ってしまう。

お寺がぶなんとなる。

剣客商売の老中田沼の屋敷はあきらかに寺である。

江戸時代の武家はあんな屋敷には住んでいない。

結局セットを作らざるをえなくなる。

その点小説とか詩はいい。

ペンかワープロがあればどんな時代でも描ける。

かわりに読者はたいへんな想像力と忍耐力が要求される。

小説・詩をよむのはめんどくさいのである。

 

32:ダイエー

 

神戸のダイエー本店に服を買いに行った。

店員がそわそわしている。

社長の中内功がフロアーに入ってきた。

店員が全員中内のまわりに集まった。

「ダイエー優勝おめでとうございます。」

と口々に言った。

すべての客がおいてけぼりであった。

この一つの出来事をみて

ダイエーと中内に対するイメージが

すべてくずれさった。

その後ダイエーは本当にくずれさった。

 

33:大岡信

 

姫路文化会館に大岡信の講演を聞きに行った。

講演の内容は覚えていない。

息子の自慢話をしていた。

講演のあとサイン会があった。

「折々のうた」を買ってサインしてもらった。

前に女の人が何人か並んでいた。

大岡に何かを話しかけている。

大岡は無言で全く無視している。

次の女の人に対しても同様である。

顔で不快感を表している。

顔じゅうがおこっているようである。

私も人のことは言えない。

詩は人格とか人柄で書くのではない。

でもやっぱりひどすぎる。

大岡はその後文化勲章を受賞した。

文化勲章がどのようなものかわかった。

文化勲章は業績に対して贈るのであって

人そのものに贈る賞ではない。

そのあと平川祐弘の講演があった。

ラフカディオハーンの話であった。

たいへん勉強になった。

後ろの髪の毛に目立つ寝癖があったが

背筋がぴんとして風格と威厳があった。

フランス語とイタリア語とドイツ語が堪能。

私は初めて東大名誉教授の講演を聞いた。

立派な学者とはこういうふうなのかと思った。

平川先生はいまも存命中である。

 

34:谷崎潤一郎

 

姫路文学館で半年間谷崎潤一郎の講義を受けた。

講師は谷崎研究の若手の権威らしい。

映画なども見せてもらった。

ケイトウィンスレットの「Quills」と

田中絹代の「お遊さま」などであった。

講義で大切なことを学んだ。

谷崎はあらゆる形式・形体・様式の小説に挑戦した。

「細雪」・「春琴抄」・「痴人の愛」が同じ作者の

作品であるのは信じがたい。

「源氏物語」の現代語訳までやった。

晩年手が思うように動かせなくなっても書き続けた。

私は谷崎から「あらゆることに挑戦する」

ということを学んだ。

 

35:ステッドラー

 

20代の初め銀座の伊東屋でステッドラーの

シャープペンシルを買った。

40年過ぎた今でも持っている。

買ったときとほとんど変わっていない。

20回は引っ越したと思う。

なくさない秘訣はたいせつなものは

外に持ち出さないことである。

 

36:タトゥー

 

タトゥーは最初のうちは見ていてあきないが

そのうちにあきて当たり前のようになってくる。

タトゥーのない自分の体は当たり前で見ようとも思わない。

結局タトゥーがある体もない体も同じなのである。

人に見せるためのものであるならば隠す必要はない。

自己主張・ファッションであるならば服と同じである。

一生同じ服を着ていることになってしまう。

 

37:小室圭

 

小室圭がニューヨークの司法試験に落ちた。

合格率が78%らしい。

アメリカ人が受けた場合の合格率である。

英語力が問題なのである。

2、3年アメリカで勉強しただけではアメリカ人と

普通に英語で話せるようにはならない。

2、3年アメリカにいたぐらいでは司法試験に

受かるような英語力は身につかない。

アメリカに2、3年留学して帰って来た人の

英語力をみればよくわかる。

たとえば小泉進次郎などである。

内親王の結婚相手でこのぐらいハードルが高い。

将来天皇になる男子の結婚相手のハードルは

どのくらいの高さになるのか。

はたして天皇制は維持できるのであろうか。

 

38:空を飛ぶ夢

 

昔は空を飛ぶ夢をよく見た。

大きな目標があってそれを達成できない。

それが夢となって現れるのだろう。

昔の目標は自分以外の人を必要とした。

いまの目標はじぶんひとりだけで達成できる。

今は空を飛ぶ夢を見ない。

 

39:不倫

 

男は絶対に不倫をするものらしい。

女もまた同じである。

結婚がしたいのなら

不倫をしてはいけない。

不倫をするのであれば

結婚しないほうがいい。

このような当たり前のことが

今の日本人には通用しない。

いっそ不倫を認める法律を作ってはどうか。

逆に不倫を罰する法律を作ってはどうか。

どちらの法案も国会を通過する

可能性はゼロである。

どちらの法案も提出される

可能性はゼロである。

 

40:文字と記憶力

 

私は発達障害者である。

同時にふたつのことができない。

人の話を聞きながらメモをとることができない。

学校の授業で先生の話を聞きながら

ノートをとったことがない。

この欠点?が自分の記憶力を高めた。

メモにたよることができないので

どうしても記憶しなければならない。

文字を持たない民族の記憶力はすさまじい。

かれらが伝言ゲームをすると何名を間に置いても

最初に言った人の言葉が最後の人に

まったくそのまま伝わってしまう。

文字は人間の記憶力を奪ってしまった。

 

41:To make a difference

 

It is not too old to make a difference.

I have been making poets.

They cannot change anything.

They will not be read by only a man.

I want to make a difference in my poets.

 

42:氷が張る

 

道(み)ちぬ上(うぃい)ぬ水溜(みじたま)いにガラスぬ

落(う)てぃ而居(とお)たん。

誰(たあ)が道(みち)んかいガラス置(う)ちぇえがやあ。

家(やあ)んかい帰(けえ)てぃ人(ちゅ)に聞(ち)ちいねえ

彼(あ)りや寒(ふぃい)さ事(ぐとぅ)水(みじ)ぬ上部(ぅわあび)ぬ

固(かた)まてぃ氷(こおり)どぅ成而居(なとお)る。

初(はじ)みてぃ「氷が張る」でぃ言(ぃゆ)る言葉(くとぅば)聞(ち)ちゃん。

 

43:天国

 

天国とはどのようなものか。

やっぱり死んだ人が大勢いるのであろうか。

もしそうなら私は天国には行きたくない。

天国にもやはり人間関係があるのだろう。

一人で暮らしていける天国があるなら行って見たい。

そんな天国はないだろう。

だからやっぱり天国には行きたくない。

 

44:餃子の王将

 

餃子の王将の社長大東隆行氏が射殺される事件があった。

彼は毎朝早く出勤して玄関と駐車場を掃除していた。

それをあらかじめ調べた犯人が出勤したところを射殺した。

彼は昼にはトイレの掃除もしていた。

犯人は実に立派な社長であることを知っていたのだろう。

通常の社長は掃除をしない。

掃除をしないのが当たり前だと思っている。

えらい人は掃除をしないものだと思っている。

自分をえらい人だと思っている。

掃除をしないことによってえらさをアピールすのではなく

掃除をした上で自分をアピールできる社長が

立派な社長なのではないのか。

 

45:死と無

 

死んだら無になる。

それは生きている人から見た場合である。

生きている人から見れば無であるが

死んだ本人にとってはどうだろう。

死んだ人は自分が無であることはわからない。

無は生きている人のものであって

死んだ人のものではない。

生きている人には存在して

死んだ人には存在しない

それが無である。

死んだ人の「無」は生きている人の無とは

全く違う「無」なのである。

 

46:小説家の人格

 

小説を読んでいるとき作者がどのような人か気になる。

小説と作者の人格・人柄・性格は関係がない。

しかしやっぱり気になる。

小説を読みながら作者のことを考えている。

私の勝手な憶測・推測であるが

今まで読んだ小説家の中で人格者はいなかった。

みんな性格がいびつでひんまがっている。

いじけてねじれている。

小説は人格者でない人が書くものなのだろう。

 

47:アメリカ英語とイギリス英語

 

私の中学校のときの英語の教科書は本土と同じであった。

当時の日本の英語教育はイギリス英語であった。

発音がイギリス式であった。

教科書・辞書の発音記号はイギリス式がメインであった。

沖縄は当時アメリカの統治下にあった。

学校の英語の先生はアメリカの留学帰りか

アメリカ人に直接英語を教わった人達ばかりだった。

おもてを歩けばアメリカ人がうようよであった。

英語の教科書がイギリス式なのを誰も不思議に思わなかった。

 

48:松本幸四郎の手紙

 

九代目松本幸四郎の手紙を持っている。

彼が友人にあてて書いた手紙である。

京都の古本屋で購入した。

松本幸四郎は歌舞伎役者であり

舞台・映画・テレビ俳優である。

松たか子のお父さんである。

現在は二代目松本白鸚という。

手紙の内容はマル秘である。

おどろくべき達筆である。

どのような経緯で手紙が京都の

古本屋にたどりついたのか。

書いた当時は市川染五郎であったが

有名な歌舞伎役者であった。

友人が手紙を手放すとは考えにくい。

ときどき取り出しては推理・空想に

ふけっている。

 

49:傘

 

沖縄の人は多少の雨が降っても

傘をささない人が多い。

文化である。

本土の人は台風の中で

傘をさそうと頑張る。

吹き飛ばされるまで

傘がこわれるまで

あきらめない。

文化である。

 

50:引きこもり

 

二十代のころ三年ほど引きこもりを経験した。

自分ではフランス語とドイツ語を勉強しているつもりだった。

あれはまわりの人が判断すればあきらかに引きこもりであった。

いまニーチェの「ツァラトゥストゥラ」をドイツ語で

ボードレールの「悪の華」をフランス語で読んでいる。

辞書があればだいたい読める。

引きこもりの時に使った教材がリンガフォンであった。

発音もほぼ完璧である。